おがちょのつぶやき日記

トロント日系セブンスデーアドベンチスト教会牧師のブログです。

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今年から、長女と長男が日本人学校の幼稚園に通い始めた。
以前は2人とも2年間、韓国の幼稚園に通っていたので、韓国語はだいたい
理解して話していたようだが、最近は、めっきり韓国語が減っている。
今年に入り、日曜日の8時は家族全員でテレビの前に勢ぞろいし「篤姫」を見るのが
我が家の定番になってきた。


5歳の長女は、普段の日本語会話は遅れているのに、
時代劇の言葉は面白いようで、少しずつ覚えている。
先日、妻が夕食にパスタを作って娘の前に「はい、できたよ!」と皿を出した。
すると娘は一言、「見事じゃ」。


テレビを見せるのは、よくないと思いつつも、
慣れない外国の都会では、NHK放送が、ひと時の楽しみになることは
仕方のないのかもしれない。願わくば、うちの長女も「篤姫」のように天真爛漫で、
賢い娘に育ってほしいと思う。


その夜、子供たちに時代劇風の言葉で話したところ、大うけだった。
騒がしくしていると、妻までが「ええぃ、静かにせぬか!」と叫び始めた。
狭い我が家で「篤姫」が2人いるのは大変かもしれない。

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今週木曜日夜、約10日ぶりの韓国に帰ってきた。
日本を離れるのが辛いかなぁと思ったが、別にそうでもなく
家族、特に子供と離れることだけが心残りだった。


沖縄に来ていつも思うのは、米軍基地の多さである。
どこに行っても基地に面している。
沖縄の人に言わせれば、一番いいところは全部米軍のものだとか。
調べたら、沖縄県全体の10.4%が基地というから驚く。
まぎれもなく、米軍基地の島なのだ。
http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=14&id=1169&page=1

沖縄にいる間、妻の実家と道路一本挟んだところにある沖縄市役所に
ちょくちょく足を運んだ。出生届や、ATMがあるからだが、
ある日、「原爆展」と「沖縄戦(だったと思う)」が、市役所ロビ-
で開かれていたので見てきた。

被爆地の様子をはじめ、太平洋戦争末期の沖縄の様子を見ながら
心が重くなり、胸が締め付けられるように痛んだ。原子爆弾の悲惨さと人々の悲しみ。
また沖縄では、米軍基地がある限り沖縄の「戦後」が終わらないだろうと思った。


沖縄市から嘉手納基地までは、「ゲート通り(空港通り)」が
メンストリートになっている。そこは外国人店主が経営する店が並んでおり、
他とは、少し町並みが違う。(小さな写真がそれ)

そこに新しく、複合音楽施設「コザミュージックタウン音市場」なるものが
登場していた(大きな写真)。昔、沖縄市が「コザ」と呼ばれていた名残だが、
一昔前は音楽で有名だったそうだ。それらは、ロックや琉球民謡などだ。

そういえば、もう一つの通りのパークアベニューというすっかりさびれた所には、
信じられないが、昔は、「ハードロックカフェ」まであったとか。
今はそう言われても信じられないほど閑散としている。
当時、米軍兵の暴行事件が多発してこの辺に来る兵士が激減したのが原因だとか。
1970年にはコザ暴動があり、暴行事件に対する住民の不満と怒りが
爆発し、米国人の車が約70台焼き討ちにあった。

そのような歴史がある沖縄市ダウンタウンで、地域活性化対策として
この「ミュージックタウン」を建てて、もう一度人々をここに呼ぼうとしているのだ。

この施設のメインは、スタンディングで1100人を収容できるホールだそうで、
ロック、ポップスなどライブイベントを充実させるためホールの形、壁の材質、
音響機材など、音の響きの良さにこだわった造りらしい。
今回は残念ながらそこでのコンサートに参加できなかったが、
次の機会を楽しみとしたい。あと、ラジオでやっていたが、
ここは、営利目的でないなら、予約して、無料で演奏をやらせてくれるようなことを
言っていた。もし本当なら、音楽好きな若者たちは直行すべきだろう。

話は変わるが、その一階に「ウェンディーズ」と「すき家」が一緒になった店がある。
子供が好きなので、一度だけ家族でそこへ行った。日曜日の午後2時頃だったが、
店の9割はアメリカ人兵士や、軍関係者の家族連れだった。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなった。
娘がハンバーガーを口いっぱいに頬ばりながら、隣のテーブルの黒人兵士4人組を
不思議そうにながめていた。妻が「私が小・中学生の時にはもっといたよ~」と、
言った。

そういえば、沖縄市は、映画「涙そうそう」にもちょくちょく出てきたように思う。
主人公がバイクに2人乗りして気持ちよさそうに走っていた並木道は、
家のすぐそばの「くすのき通り」だったし、長澤まさみの父親がトラムペットを
吹いていた店は、パークアベニューにある(多分・・)。

音楽関連だが、妻の兄が三線(サンシン)という、琉球三味線を引く。三線教室も
趣味でやっているが、仕事が終わると、よく飲み屋のライブで弾いている。
以前、沖縄のビールのコマーシャルにも出て、たまにFMラジオでも
DJしてるとか、してたとか・・・。いずれにせよ、次に来たときには、兄さんが弾く
三線を聴きつつ、一杯(勿論サイダー)やりながら、沖縄を感じたいと思った。

沖縄は、南国の明るい素敵な場所だが、過去の悲しい歴史や、
簡単に解決しない難しい問題も見え隠れする。

しかし、観光客には、沖縄の素朴で明るい人たちがそれを感じさせないのだろう。
そんな本土からの人々には見えない沖縄の姿がそこにはあった。

 昨日の昼、1ヶ月前に日本から出した引越し荷物が届いた。
だいたいの箱は、業者の人が開けてくれたのだが、その片づけや
布団、台所用品などは夫婦で夜遅くまですることになった。
終わったのは夜、いや明け方の3時過ぎであった。子供達が寝室で
スヤスヤ寝ているそばで、黙々と片付けと整理をしていたのである。

 荷物が来て、特に感動したことがある。
「台所用品」とメモ書きしてある、クロネコヤマトのダンボール箱から、
日本の味噌や、みりん、酢、だし、調味料の数々、缶詰、様々な食品が
出てきたのである。まるで宝の山だ・・・。(こんなに嬉しかったのは久しぶりだ・・笑)

 私は小さい頃「ロビンソン・クルーソー」や、「十五少年漂流記」などの
冒険ものをよく読んだが、主人公たちが漂流してきた荷物、道具、
食料品などを見つけて感動している場面が特に好きだった。
自分は、まさに昨晩遅く、疲れと睡魔と戦いながら、韓国の地で
その感動を追体験したのである。

 以前、カナダのミッション系大学にいたことがるが、そこでは、
体育の授業の選択科目に、リーダーシップ養成クラスというものがあった。
それは、ロッキー山脈にナイフとビニールシート1枚だけを持ち、
(いつか忘れたが、寒い時期だったように思う)ロッキー山脈で狼の遠吠え(?)
を聞きながら、1人取り残されて、2泊3日を過ごすのである。

 もちろん事前準備は怠りなく行われる。食べられる野草、寝床の作り方、
危険な動物に襲われた時の対応の仕方、様々なことをクラスで叩き込まれる。
行く前には、身体検査まで行われた。だいたい皆、何かをポケットに入れている。
抜け目ないものは、靴や靴下にまで入れている・・・。
そのようなものを全部没収されて、非常時のためのトランシーバーだけを
持たされて、置き去りにされるのである。まさにロビンソン・クルーソーの世界だ。

 何のために行われるのか?
サバイバルを済ませた学生たちはアンケートに答えていく中で
「1人ぼっちの時に何が一番必要だったか?」という質問がある。
そこに多くの若者が、食料や、火や、毛布といった、当座必要なものではなく、
「聖書」と記入していた。

 もちろんキリスト教国であり、ミッションスクールという条件であるからこそ
出てきた答えではあるが、彼らが「聖書」という言葉を書いたことには、
「本当の平安、確実な心の安らぎ、自分の本当の居場所」
などの意味が含まれていると思う。

 日本では、引きこもりや、ニートが100万人を越えているという話を聞いたことがある。
実際に、今までの知り合いや、関係をもたせてもらった友人たちの中に、多くのそういった
人々がおられた。多くの人々は難しい現実と直面している。
そういった人たちと接する中で、「本当の平安、心の安らぎ、自分の居場所」を
見い出せない苦しみを垣間見てきたように思う。

 たくさんのロビンソン・クルーソーたちが、日本でサバイバルをしていると思う。
彼らが、宝物に出会い、本物の平安、心の安らぎ、自分の居場所を見つけてくれることを
心から祈りたい。

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