おがちょのつぶやき日記

トロント日系セブンスデーアドベンチスト教会牧師のブログです。

カテゴリ: 教会説教集

イメージ 1

~怒りを静める方法~

今日は、感情のコントロール、特に「怒りを静める方法」をみなさんとご一緒に考えて行きたいと思います。私たちの多くは、怒って人間関係をダメにした経験を持っていることでしょう。怒りによって友人関係を壊したり、夫婦関係が破綻したり、家庭が崩壊したり、あるいは恥かしい思いをしたことがあるでしょう。


【怒ることは悪くない!】
この時間の中で出来る限り、怒りを静めるコツを見て行きたいと思っています。
まず大事なのは、「怒ることは悪くない」ということです。よくついカッとなってしまう自分が嫌いだという人がいますが、怒りは私たちが持っている通常で、正常な感情です。
感情には決して良し悪しはありません。怒りを感じるのは、「何かが間違っている」というサインなのです。ですから、怒りをムリに抑えることはせず、相手に上手に伝える事が大事になってきます。


【何が悪いのか?】
では、怒りの何が問題なのでしょうか?怒りという事について何か問題はあるのでしょうか?
それについては、主に3つあると思われます。
最初は、「自己中心の怒り」です。自分が面白くない、つまらない、自分勝手な意見のために怒りだすというのはNGです。次に、怒りと共に、暴力・暴言・無視を行動に移すことはNGです。最後は、怒りを当日中に処理しないで、次の日以降に持ち越すことです。これらのものは、簡単に人間関係を壊し、相手の心に大きな傷を残す事になるからです。また自分の心が醜くなるのは言うまでもありません。


【怒りが爆発すると・・・】
次に、怒りが爆発すると、どんな問題が起こるかを見て行きたいと思います。まず第1に、人間関係が壊滅的ダメージを受けます。人間関係をつくるのには、多くの時間と労力とお金がかかります。これらのものを怒りは一瞬にして破壊してしまい、関係が回復不可能にまで追い込まれることがあるのです。

第2に、相手を傷つけることにより、憎しみや恨みが生まれます。この感情はなかなか消えません。また、その感情により、相手の人を苦しめることになります。

第3に、後悔するでしょう。そして自分が嫌いになり、心の傷が生まれます。後悔することにより、自信がなくなります。そして自己嫌悪の中、セルフイメージも低下していきます。そして怒りの結果として、心の傷ができます。心の傷ゆえに様々な人間関係がぎこちなくなってしまうのです。そして、病気になる可能性も大きくなると言われています。私たちの体は、血液や皮膚、髪の毛や細胞を次から次へと製造している、一大化学工場です。私たちが怒ると、体内で毒性物質が製造され、病気の原因になってしまうのです。


【怒りを静めるステップ】
ここまで見てきたように、怒りを爆発させて、いいことは何もありません。
もし、皆さんが怒りを感じて抑えられそうになくなったら、怒りを静める次のステップを覚えてください。
1番目は、よく考え、冷静になるということです。怒ったら、心の中で10数えてみてください。それでもダメそうなら
20、あるいは100まで数えてください。とにかく冷静になることを覚えましょう。

2番目に、相手に自分の怒りを伝えるということが重要になってきます。「怒りを我慢します」という方がおられますが、ストレスがたまるだけで、後で必ずもっと悪い影響が出ますので、我慢することはオススメできません。大事な事は、「アイ(私)・メッセージ」で伝えることです。これがとても大切です。
これは、自分がどう感じているか、どうしてもらえたら嬉しいか、具体的に希望を話すということです。
「相手」を主語にしないで、主語は「自分」にして下さい。相手を責めず、自分は「悲しかった」とか、「つらかった」、「私は、こんな風に感じた」というように、自分の感じ方、希望を具体的に落ち着いて話します。このように冷静に話したら、相手も売り言葉に買い言葉というような悪循環には陥りません。

さて、最後のステップです。これが一番難しいかもしれません。あなたは怒ったら、最後には自分の中で相手を赦さなければなりません。もし最初に相手の非がある場合は、その赦しを伝える必要があります。そして、自分にも悪いところがないか考えます。もしあれば謝りましょう。

よく「謝ることは私のプライドが許さない」という言葉があります。しかし、その言葉を聞くたびに、「たいしたことのないプライドだ」と思ってしまうのです。自分の立場を守り、プライドが傷つかないようにするよりも、相手を赦し、謝る方がよほど勇気が必要であるし、人格的に優れている事は明らかです。私は「謝らないのは私のプライドが許さない」とした方がいいと思っています。その方がよほど潔いし、尊敬を得られるでしょう。聖書には多くの怒りについての言葉が記されています。いくつか見て行きたいと思います。

『怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。』箴言16:32

『愚かな者は怒りをことごとく表わし、知恵ある者は静かにこれをおさえる。』箴言29:11


【唯一の解決方法】
しかし、以上のことを試みても、どうしても怒りが収まらない場合があります。実は、人格から受けた傷は、相手の人格を傷つけるまで癒されないからです。それだから、私たちは口喧嘩をすると、その仕返しに無視して相手を傷つけたり、中傷したり、悪口という姑息で卑怯な手段を用いてまで相手を傷つけようとするのです。本当に人間は悲しくて哀れだと思わずにはいられません。

では、多くの人が信頼する心理学ではどのような解決方法があるのでしょうか。勿論、人を傷つけるのは論外ですから、心理学では他のものに怒りをぶつけるという手段がとられます。何かの物に怒りをぶつけたり、あるいは様々な方法で怒りを発散させるというものです。これはある程度の効果があります。しかし、先ほどの話のように人格から受けた傷は人格に返さなければ傷は残り、心は癒されません。

そこで、今日は唯一の解決方法を皆さんにお知らせしたいと思います。
それは、どうしても怒りが収まらない時は、イエス様に怒りをぶつけるという方法です。聖書にはこの方法が唯一の心に出来た傷を癒す方法だと記されているからです。
聖書にはこう記されています。

『彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』イザヤ53:5

私たちが心に傷を受け、どうしても加害者にその傷を、同じ痛みを味あわせてやりたいと思ったら、それをイエス様にぶつけてください。その傷を彼が負う時、あなたの心は癒されていくのです。
よく分からない方もいるでしょう。このことは、これからの礼拝で順番に話して行きたいと思っています。
ただこのことだけは覚えてください。イエス・キリストは、十字架上であなたが背負ってきた傷、痛み、悲しみ、苦しみ、涙を全部背負ってくださったのです。あなたがそれを受け入れるなら、人にはとうてい理解できない心の平安がやってくるでしょう。私はそうして心の傷を癒してもらってきたのです。

最後に少しだけ、みなさんが教会へ通い続けることのメリットをお知らせしましょう。
アメリカのデューク大学医療センター「レッドフォード・B・ウイリアム博士」は、こんな研究結果の発表をしました。

 ・他人に対して敵意や怒りを抱く人は、そうでない人よりも5倍以上心臓病で亡くなる可能性がある。
 ・教会によく通う人ほど血圧を低く保てる。

みなさん、怒りを静めること、そして教会に通うメリットを理解してもらえたでしょうか?

ここにいる恋人、夫婦のためのワンポイントレッスンをして終わりたいと思います。特に男性に対してです!次の言葉を言うように練習しましょう。

①それをいうべきではなかった。②すまない。③どうか許して欲しい。④君を愛している

それでは皆さん、よい1日をお過ごし下さい。

『心の傷がいやされるには?』

あなたの心は今、幸せで、誰とでも、仲良く楽しく、明るく生きているでしょうか? 
おそらく何もかもうまく行っているという人はいないと思います。色んな思いがあり、
心の中にどうしても埋められない寂しさ、悲しさ、そして心が重くなることはあることでしょう。

それらの理由のほとんどが「心の傷」から来ると言われています。
心が怪我をして血を流し、痛んでいるのです。

今日、私がみなさんにお話ししたいことは、この3つが私たちの心にあるということです。

「心の傷」、「悪習慣」、「とらわれ」です。

「心の傷」は、親や友人の言葉、または恋人や、会社の上司や同僚からの言葉、あるいは、
言葉だけじゃなくて、暴力、いまわしい思い出もあるかもしれません。

「悪習慣」とは、そんな心の傷を持つと始まる習慣です。心の傷を持った人は、「愛されたい」、
「受け入れられたい」、「認められたい」と強く願います。それがうまくいかないと、
他のものでその心の傷をいやそうとします。食べ物をたくさん食べたり、お酒をたくさん飲んだり、
タバコ、麻薬などに手を出す人もいます。あるいは、愛さている実感が欲しいために、
異性にそれを求める人がいます。いろいろあげればきりがありません。

韓国では、PCバンでゲームにはまる人がたくさんいます。それは現実の社会では思い通りに行かず、
ストレスがあるからだと思います。私自身、現実社会ではうまくいかなくても、ゲームの中では、
勇者であり、主人公であることから、一時期ロールプレイングゲームや、シュミレーションゲームに
はまったことがあります。ゲームを含めた中毒症にかかる人は、心に傷があることが大きな原因だと
思われます。その満たされない気持ちを、なんとかして満たそうと、ゲームの世界に
ひたってしまうのです。

「とらわれ」とは、痛みの原因になります。「心の傷」によって、人に対する恐れ、自信のなさ、
コンプレックスなどがそれです。「どうせ自分はダメだ」とか、「自分は他の人から愛されていない」
とか、「自分は頑固だ」、色んなイメージが心にできてしまうのです。
そのようなマイナスイメージがあると、本当の自分はそうじゃなくても自分に暗示をかけてしいます。「自分はどうせそんな人間だ」と思い込むようになってしまうのです。

このような「心の傷」、「悪習慣」、「とらわれ」に、みなさん思い当たりますか?
結論から言うと、この「心の傷」を治し、悪習慣から離れ、とらわれを追い出すなら、
みなさんの心は本当に楽になります。そして性格も変わります。生き方も変わります。
人生を前向きに明るく、そして肯定的に生きられるようになります。また友達も増えるでしょう。
周りの人から好かれる存在になるでしょう。

「えっ!本当?マジで?」と疑う人もいるでしょう。でも、本当にそうなのです。
みなさんの人生は変わって行きます。

皆さん、もし手をケガしたらどうしますか? 手のひらに、木のトゲが入ったらどうしますか?
そのまま放っておきますか? 必ず、トゲを抜き、消毒し、絆創膏をはるでしょう。そうしなければ、
いつまでたってもケガは治りません。かえって膿がでて、その周りもひどい状態になるからです。

では、心がケガをしたらどうするでしょうか? 皆さんはどうしますか? 
おそらくみなさんは、色んな方法を試したでしょう。でも、それで心のケガや傷がなおったでしょうか?
おそらく治らなかったでしょう。
身体のケガは、体が傷つきますが、心の傷は、あなたの「感情」が傷ついているからです。
ですから、この傷ついた感情がいやされなければなりません。
どうしたら感情がいやされるか?
はい、一番大事なことですよ。他のことを忘れてもこれだけは忘れないで下さい。

2つあります。1つ目は「あなたの傷ついた感情、膿を出すこと」です。
これは、ある人にとってはとても難しいことかもしれません。でも、これが出せないと、
ことあるごとに、先ほどの「心の傷」の症状が出てきて、あなたの生活は苦しいものになるでしょう。

2つ目は、あなたのことをどんなことがあっても受け止めてくれる人が必要です。
そしてここが大事です。「あなたを見捨てないで愛してくれる人」が必要なのです。
この2つがないと、心の傷は治ることが難しいと言われています。

私には、尊敬すべき父、優しい母がいます。
しかし、私はいまだに両親にほめられた経験がありません。
(もしかすると私の記憶がないだけかもしれませんが・・・)。
小さい頃私は、親にほめられようと勉強を頑張った時期がありました。
また、スポーツも集中して努力した時がありました。しかし、どんな成績をとっても、
認めてもらえず、ほめてもらえなかったのです。
その結果、自分はどうでもいい存在で、愛されていない存在なのだと思うようになっていきました。

幼稚園から小学生の初めにかけて、明るくひょうきんだった自分は、だんだん自信がなくなり.
人前に出るのが怖くなりました。小学生の頃、吃音が始まりました。話すことが怖くなり、
電話にも出ることができなくなりました。また学校では、クラス中、先生に質問されるのが怖くて、
学校をさぼることも増えてきました。そのせいか、中学生くらいから父親を避け、
だんだん父親を嫌うようになってしまったのでした。そして、高校生になる頃には、
生活が荒れてきて、学校にも行かなくなり、すさんだ生活を始めていきました。

そのうち、私はあることで警察に捕まってしまいました。
家に帰ると、父親は当然のことながら激怒していました。
でも、私は全然悪いと思っていませんでした。かえって「ざまあみろ」と思っていたのです。
今では勿論、父も母も自分のことをいつも心配し、愛してくれていることを知っていますが、
その時は、どんなことをしても認めてもらえないという「心の傷」と「とらわれ」によって
自暴自棄になっていたのです。

数年して、クリスチャンになり、私は求めていた愛を見つけました。決して見捨てない、
自分の命をかけて私を愛してくれるイエス様に出会ったのです。
そうして私の心はなぐさめられていきました。でも、まだ「心の傷」はありました。
父親に対して心を開くことができなかったのです。

しかし数年前、あるクリスチャンのグループの交わりの中で、
心の底に押し込めた感情を出すことができました。十数年も前の心の思いが湧き上がってきたのです。

「父さん、もっと愛して欲しかった。一度でいいからほめて欲しかった。
父さん、ぜんぜん嫌いじゃないよ、大好きだよ!」それは、少年時代の心の叫びでした。

私は長い時間、泣きながら祈っていました。というより神様に泣き叫んでいました。
そうして傷ついた心の感情をイエス様の前で、そして信頼できる友人の前で
出し切ったとき、心が楽になり、ようやく父親に対するわだかまりが消えたのでした。

『私には、そんなに「心の傷」はないよ』と思う人がいるでしょう。
その人は、これを見てください。これは心の傷を持っている人にある症状です。
これに1つでも当てはまるならば、心に傷を持っているということです。

   ~ 心の傷から来る症状 ~
   ● 孤独感、寂しい
   ●  自分を愛せない
   ● 人を愛せない
   ● 劣等感が強い
   ● 自信がない
   ● 自分をゆるせない
   ● どうしても人を喜ばすことに意識がいく
   ● 心配性
   ● 怒りっぽい、復讐心
   ● 嫉妬、憎しみ
   ● 無関心
         (「ココロの奥が楽になる本」石原良人著 JCMN出版より)

みなさんは、どれくらい当てはまったでしょうか?この「心の傷」は、なぜできるのでしょうか?
「愛されたいのに、愛されない」、「認めて欲しいのに、認めてくれない」、
「受け入れて欲しいのに、受け入れてくれない」。
「心の傷」とは、愛のない言葉、行動からくる、といわれています。
それは、愛を充分に受けられないことに原因があるのです。実際に愛情はあっても、
伝わらなければ意味がありません。愛の不足のために人は傷ついていくのです。

多くの人は、父親、母親の言葉や態度で傷つきます。
本当は、無条件に愛され、受け入れられるはずなのに、勉強ができたり、
何か人より上手くできた時だけ褒められる場合が多いのです。
もし失敗したり、成績が下がったら、怒られます。その時に私たちの多くは、
愛されるために頑張るのです。認められたくて頑張るのです。
「無条件の愛」であるはずが、「条件付の愛」になっているからです。

他の人は、兄弟、友人、恋人、妻や、夫、会社の同僚、上司、
様々な人からの心無い言葉によって傷つくでしょう。
権威主義の人がそばにいる場合、そのために、いつも恐怖の中にいて、
人が怖くなることもあります。

みなさんは、心に傷を負っている事が分かったらすぐに治療しなければなりません。
もしほっておくとどうなるでしょうか? ひどい時は精神的な病気になります。
また、ゲームやお酒、ギャンブル、男女関係、閉じこもり、様々な症状が出てくるでしょう。

聖書の言葉、イザヤ書57章18節を見てみましょう。
『わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。わたしは彼を導き、
彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう』

神様は、みなさんをいやそうとされています。みなさんは、自分を新しく変えたいと思いませんか?
もう一度、新しくやり直したいと思いませんか?もしそれを願うならば、必ずできます。

もう一度いいますが、私たちは「無条件の愛」で愛される必要があるのです。
無条件の愛は、人間関係では不可能であることは、みなさんがいま考えても理解できると思います。
無条件で愛されるということは、人間の間では一時的にはあっても、ずっとは続かないからです。
唯一の無条件の愛は、神様から受けるしかないのです。

5月2週目、金曜日の礼拝の後、フリートークの時間に『ココらくカフェ(仮名)』を始める計画です。
その場で、心にたまっている思い、不満、悲しみ、心の傷などを分かち合うという時間です。
なにも難しいことはありません。ただ自分の心に正直になれるときがあるだけです。
日本語があまりできなくてもかまいません。できなかったら韓国語でもいいです。
お茶とお菓子を食べながら、気楽に始めたいと思います。

この1週間で、私は7人の人の涙をみました。みなさん、辛いこと、苦しいこと、悩み、
それらの心の傷、悪習慣、とらわれから、逃げたいと思う人が7人、私の前でそのことを話し、
涙を流しました。みなさんにもあるはずです。もし、心が楽になりたいと思う人は、
5月の金曜夜のベスパーから来てみてください。

私は日本にいた時に、中学生、高校生、大学生、社会人の方々とこれに似たグループを持ってきました。みんな心の傷を持っています。

アメリカでは2000万人の人が何らかの形でこのグループに入っているといわれています。
また50万のグループがあるといわれています。しかしこの韓国ではそれらはほとんどありません。
いろんな理由はあるでしょう。

私たちの社会では、誰にも話せないのです。「競争社会」という自分さえよければいいという
社会では、心の傷や、弱さは出せません。

ただ教会だけが、それをできる場所だと私は思っています。神様は今、みなさんの傷を治し、
もとの状態に回復させようと待っておられます。そして神様は、私たちの全ての罪を赦し、
悩みを理解し、重荷

「リバイバルのために」

 実は、今日のお話を書いている時、私には、心の重荷がありました。
何週間前にキム先生に礼拝でのお話しを頼まれた時、
「先生、リバイバルが起こるようなお話をお願いします!」と言われていたからです。

「リバイバル」とは、「信仰復興」という意味です。
リバイバルの話となると、「悔い改め」と「告白」を語らなければなりません。
そして、ほとんどの人は、それを聞きたくはないでしょう。

皆さんは、リバイバルを本当に体験したいでしょうか?
もしリバイバルを体験したいと思われるなら、私は心を込めて、
お話しをさせて頂きたいと思います。でも、本当にリバイバルを体験したいと思えないなら、
私は説教内容を今すぐに変えなければなりません。それは、これから話す話が、
リバイバルを求めない人にとっては苦痛でしかならないからです。

私自身、4年前に自分の中でリバイバルを経験しました。
それがなかったら、私は、決して韓国に来る事はなかったでしょう。

牧師を始めて2年たったくらいの頃、私は壁にぶつかっていました。
自分が、本当に牧師として仕事を続けられるのか不安だった時期がありました。
私は牧師3年目の時に、韓国の祈祷院に来て、1週間祈りました。
しかし、それでも心の不安は消えませんでした。

しかし、ある時いくつかのプロテスタント教会の牧師や伝道者が集まっている
勉強会に参加することにしました。
その中の1つの大きな集会で、ある牧師が前に出てきて話を始めました。
それは、驚くべき内容でした。

彼は、何百人の信徒を抱える教会の牧師でした。彼の大学生の娘が、結婚も婚約もしていないのに、
妊娠してしまったというのです。聖書にある姦淫の罪です。
その牧師夫妻は大変悲しみ、悩み、苦しんでいました。そのことが1ヶ月前に起こり、この1ヶ月間、
ろくに眠れず、食事もできなくて、毎日泣きながら暮らしていたのです。

この話を聞きながら、私は「何故、この人はこんな自分の恥を人前で話すのだろうか?」と
疑問に思っていました。そして、この牧師は大勢の会衆の前で、泣きながらこう言いました。
「私は牧師を辞めます。」

私は、びっくりしました。確かに娘さんのことは良くないことだが、
自分が牧師を辞める必要はないのではないかと思ったからです。
しかし、彼は続けてこういいました。

「聖書には、『自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話が
できるでしょうか。』(汽謄皀3:5)とあるからです。私に牧師の資格はありません。」

私は、それを聞いて強いショックを覚えました。「もし彼がそれで牧師を辞めるのなら、
私などは、とうの昔に牧師をする資格がない。他の多くの牧師も辞める理由があるのではないか」
と思ったのです。

私の目の前にいるこの牧師は、あまりにも「聖なる人」に思えました。私はその時、
立って話を聞いていましたが、急にひどい吐き気に襲われ、立っている事ができず、
しゃがんでしまいました。この「聖なる人」に比べ、自分があまりにも汚れているように思われ、
自分自身に吐き気をもようおしたのです。こんなことは初めてでした。

前に出ていた牧師は泣いていました。その後、そこにいる多くの人たちが彼の周りに集まり、
彼のために祈りました。そして、祈りのうちに彼を励まし、受け入れ、愛している事を
宣言していました。その牧師は神の前で、皆に受け入れられ、赦されて、再び牧師をするようにと
励まされていました。それは非常な感動を与えられた時でした。その場に聖なる神御自身が、
おられるのを痛いほど感じました。その集会で、御言葉の宣言がありました。
『だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。
正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。』ヤコブ5:16

『自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、
あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。』汽茱魯1:9

私は、神様の前に罪深い自分自身を強く感じていました。
そして、これからもイエス様に従って行くならば、どうしても今、自分の中にある罪を
赦してもらわなければならないと感じていました。集会の後、人々は、
それぞれ同じ年齢の人たちと集まって祈る事になっていました。
私は、あるグループに入れられて祈りました。

そこにいる人たちは、私はその中で祈り、今まで隠してきた罪を告白し、
イエス様に赦しを求めました。涙が止まりませんでした。私の祈りの後、
そこにいた5,6人の人々は私を抱きながら主の赦しの宣言と愛の言葉を語り、
心から祈ってくれました。

私は、その日、本当に新しく生まれ変わった思いを感じました。
あくる朝、私は嬉しくて、嬉しくて、朝4時に起きて神様に祈っていました。
「主よ、感謝します。あなたは、私の罪を取り除き、真の自由を与えて下さいました。
あぁ~、私はあなたのために何ができるのでしょうか?あなたのためならどんなことでもします。
地の果てまでもあなたのために行きます。どうぞおつかわし下さい。
主よ、ありがとうございます」と、喜びがとまりませんでした。

その時から、私の生活は少しづつ変わっていきました。
どんなことでも神様に隠し事をしない生活に変っていきました。
いつも神様とオープンで透明な、隠し事のない関係でいたいからです。
結局、私の中の重荷は私の罪でした。ダビデは詩篇でこう言っています。
『もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。』
                     詩篇66:18(新改訳)

そしてイザヤはこう言っています。
『むしろお前たちの悪が、神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、
お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。』イザヤ59:2

みなさんは、心に抱えた罪はありませんか?
もしあなたの生活が喜びに満たされていないならば、
もう1度神様に心の中を探ってもらう必要があるでしょう。

何故なら、イエス様はこう言われているからです。
『心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る』マタイ5:8(新共同訳)

心が清くなければ、神を見ることはできません。
私は罪があったので、吐き気をもよおし、神様の前に立っていられなかったのです。
みなさん、心の中に隠れた罪があるのなら、ぜひ信頼できる人と祈りあい、
罪を告白し、神様からの赦しを受け取ってください。

さて、リバイバルの中でもっとも大切なものがあります。それは何でしょうか?
それは「祈り」です。何故なら、イエス様が生きておられる間に最も強調して語られたことだからです。
ヨハネによる福音書の14~16章には、イエス様が十字架につかれる前の
最後の説教が記されています。今で言えば、イエス様の遺言とでも言うべきものでしょう。
つまり、一番大切なことが記されていると考えられる場所です。

この中で、イエス様は6回も「祈りなさい」「求めなさい」とおっしゃっておられるのです。
『わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、
父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、
わたしがかなえてあげよう。』ヨハネ14章13,14節
これは、無制限の約束です。イエス様は天の全てさえも与えるとおっしゃっています。

私の妻の母は、クリスチャンで沖縄に住んでいます。そして彼女は1日4回、
私たち家族の事を祈ってくれています。時には何時間も泣きながら祈ってくれるのです。
私が今、牧師でいられるのは、母の祈りのおかげです。

神様は、私たちの祈りによってしか、天の窓を開くことがおできになりません。
教会では、毎年多くの人が新しくイエス様を信じ、バプテスマを受けています。
多くの人は、関わってきた人とか、聖書を教えた人とか、
そんな人たちがバプテスマに導いたと思っているでしょう。
そのことも必要です。しかし、その人たちがいたからバプテスマを受ける人が
現れるのではありません。誰かが、その人のために祈ったから、その人たちは救われたのです。
もし祈りによらない人間的なものであれば、おそらくその人はすぐに教会から離れるでしょう。

イエス様は最後の説教で、『祈りなさい』と言われた時に、『わたしの名によって』祈りなさいと
言われました。しかも、6回のうち5回にそのことが必ず付け加えてあるのです。

どういう意味でしょうか?
イエスの名によって祈らなければ、私たち罪人の祈りは聞かれないからです。
神は聖なる方で、罪のないお方です。そのお方と罪の私たち人との間には、
越えられない壁があります。神様は罪人の言うことを聞くことができないのです。

その壁を越えて、神様の答えを得るには、イエス様を信じ、罪赦されたものの祈りが必要なのです。
その人の祈りだけが、イエス様の名前によって、天国の宝物庫の扉を開く鍵を持っているのです。

マルコによる福音書6章5,6節にはこうあります。
『そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、
そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
そして、人々の不信仰に驚かれた。』(新共同訳)

ここでは、人々が不信仰で、イエス様を信じないゆえに奇跡をなされなかったとあります。
人々はイエス様を信ずる事ができず、その不信仰のゆえにイエス様は助けてあげたくとも、
助けることができず、奇跡を起こせなかったのです。

今、イエス様は私たちの信仰ある祈りを必要としています。あなたの祈りが必要なのです。
思い出してください。イエス様は、
『実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために
働き手を送ってくださるように祈りなさい。』ルカによる福音書10章2節(新改訳)
とおっしゃいました。

主は、たくさんの祝福と恵みを、今すぐにでも与えようと待ち構えておられるのにも関わらず、
誰も祈り求めないので与えることができないというのです。

私と妻は今週の朝と夜、日本語教師の方々と、この教会のために祈ってきました。
昨日の夜も祈るはずでしたが、帰るのが遅く、色々用事があって遅くなり、疲れて寝てしまいました。
しかし、主は私を夜2時に起こされ、「祈らなければならない」と私の心にささやかれました。
私と妻は心を込めて朝方まで祈りました。神様は日本語教師の皆さんと、
この教会1人1人の皆さんを愛しており、私たちに「祈りなさい」と命じられたのです。
私たちは、日本語教師の皆さんと教会の上にリバイバルが起こるまで祈ることを止めません。
主が望んでおられることだからです。主は私たちの祈りを必要としているのです。

はじめにお話ししたように、いま私たちが主の前に罪を悔い改め、告白するならば、
祈り求めるものは全て与えられます。何故でしょうか?私たちの罪が赦され、
罪、憎しみ、妬み、プライドを捨てることによって、
人々とお互いに本当に愛し合うことができるからです。

『愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、
神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。
わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。
その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、
この方がわたしたちに命じられたように、
互いに愛し合うことです。』    汽茱魯佑亮蟷3:21-23(新共同訳)

最後にヨハネによる福音書16章23,24節をお読みして終わりた

『あなた鷲ですか、ニワトリですか?』

今日は鳥の話からしたいと思います。
みなさん、世界で一番大きな鳥はなんだと思いますか?
ダチョウです。体長2.5mで、重さも150kgもあります。走るのも一番早いですが飛べません。
ちなみに世界一早く飛べるのは「ハヤブサ」です。急降下で獲物を捕るときには最速350kmも
スピードが出るそうです。

みなさんは自分を鳥に例えると、どんな鳥だと思いますか?大きな鳥、小さな鳥、強い鳥、
白鳥のように美しい鳥、あるいは、ペンギンでしょうか?それぞれ、自分のイメージする鳥が
あるでしょう。それは、みなさんが、イメージする自分の姿に近いのではないでしょうか?

みなさんは、自分が、頭がいい、悪いとか、性格が明るい、暗い、また、自分に自信がある、
無いなどと自分のイメージを持っているでしょう。それらは、ほとんどが、みなさんの親、友人、
教師などから植え付けられたイメージがもとになっています。勿論、今までに自分が成功して、
自信を持っていることもあるでしょう。

私は、以前3年間日本の中学校で働いていました。そこで知り合った子供達の中には、
親からプラスの言葉や励ましの言葉をいつもかけられて、明るい性格で優しく育って
きた子がいました。しかしその反対に、親から「あんたはどうしようもないわ」とか、
「生まれてこないほうが良かった」などといわれ続け、自分に自信がなく、
暗い性格になってきた子も多くいたのです。

先日、聖書研究の時間でこんな質問をしました。
「今のあなたに点数をつけるとしたら何点ですか?」
みなさんは、自分は何点くらいの点数がつきますか?
そこにおられた何名かの方は、みんな60点から75点の間しか点数をつけませんでした。
いろんな欠点があるとおっしゃっておられました。すると自分のセルフイメージは
その位ということです。

みなさんは何点でしょうか?みなさんは、今の自分に満足していますか? 
私は95点から100点の間です。何故でしょうか?欠点がないからでしょうか?いいえ、
欠点はたくさんあります。私がクリスチャンになる前には、40点くらいでした。
今なぜ点数がいいのかというと、それは、神様が「私はあなたを愛している。あなたはそのままで、
とっても大事な人だよ。私はどんなことでもあなたのためにしてあげるよ。」と
言ってくださっているから、私は自分に自信があり、自分が好きなのです。
日本でであった、自信のない中学生達も、神様の愛を知り、周りのサポート受けて、
自分の低いセルフイメージが高められていきました。そして明るい性格へと変っていったのです。

韓国社会は、日本以上の学歴社会です。いい大学に行くことが人生の全てを決めるような
雰囲気があります。日本も学歴社会ですが、最近は変わりつつあります。以前、
日本の新聞社が大手の企業にアンケートをとりました。その結果、日本の多くの会社で、
新入社員の学歴は一番重要ではないと答えていました。何が重要かというと、
人間関係が上手な人、ストレスの対象方法を知っていて、明るく、心が安定している人が
一番重要だというのです。その証拠に、社会に出て成功する人は、IQ(知能指数)が
高い人ではないというのです。
成功する人は、EQと呼ばれる心の指数が高い人だという研究結果が出ています。

私たちは、自分に様々なイメージを持っています。しかし、これは本当の自分の姿ではありません。
みなさんは、いろんな事が可能であり、無限の可能性を持っています。
ようは、自分が愛されているかどうか、受け入れられているかどうかの確信を持っているかによって、
その人の性格、可能性は変化していくのです。

あの発明王のエジソンや、天才であるアインシュタインなどは、欠点だらけで、
学校の先生から見放されていました。しかし、彼らの母親は、彼らを愛し、励まし、
信じ続けてくれました。その結果、彼らは偉大な業績を残しました。

さて、話は変わります。みなさんは、世界で一番強くて大きな鳥を知っているでしょうか?
ダチョウは強いでしょうが、飛べないので、大空を自由に飛べる鳥にしましょう。
聖書には、その鳥はワシであると書いてあります。

今日は、アメリカの国鳥で、白頭鷲(ハクトウワシ)という鳥について、お話したいと思います。
頭が白く、つばさを広げると、体長2m50cmにもなります。
アメリカでは、天然記念物になっています。

ある時、アメリカの国立公園にある公園監視員(こうえんかんしいん)事務所に
1本の電話連絡が来ました。(公園監視員は、その国立公園の野生動物を守る人で、
熊、狼、鹿たちや、貴重な鳥たちを守っている人です。)

連絡によると、その国立公園の近くにある牧場に、天然記念物の白頭鷲がいるというのです。
さっそく監視員はその牧場に行ってみました。

そこに行き、牧場主に会って、「白頭鷲がいると連絡が来たんだが、本当かね?」と聞ききました。
すると牧場主は、「いんや、うちには、ニワトリしかいねぇべさ」と言ったのです。
しかし、野放しにされているニワトリの中に、紛れもなく、巨大な白頭鷲がいたのです。
「あんた、あそこに白頭鷲がいるじゃないか、困るなぁ、ウソついてもらっちゃ」と
監視員はあきれて言いました。

でも、牧場主ははっきりと「いんや、あれはチキンだべ」と言い張るのです。
よく見ると、ニワトリと同じように、地面に落ちているエサを、つっついているのです。
みなさんは、にわとりの鳴き声わかりますか?「コッコッコッ」ですよね、
そのワシは、自分がニワトリだと思っているらしく、「ゴッゴッゴッ」「ゴゲゴッゴ-」とか、
しわがれ声で鳴いていました。

牧場主から詳しく話を聞くと、何ヶ月か前に、国立公園のそばのがけ下で、巣から落ちて、
死にそうになっている雛鳥を拾ってきて育てたのでした。ですから、このワシは数ヶ月間、
ニワトリと一緒に住んで大きくなり、自分のことをニワトリと思っていました。
これを聞いた監視員は、なんとか、この白頭鷲を自然に返そうと思いました。
もう十分に飛べる大きさになっていたからでした。

まず最初に、牧場の家の屋根に登り、そこから白頭鷲を投げました。でも、ワシは、
そのまま羽根も広げずに、ヒューと落ちていき、ドシンと地面にぶつかりました。
そして、またニワトリの群れの中へ歩いていき、「ゴゲゴッゴ」と鳴きながらエサを食べ始めました。

監視員は、「屋根じゃ低すぎたか・・」と思い、次はワシをかかえて、サイロに登りました。
ここは、ビルの3階建てくらいの高さです。落ちたら、いくらワシでも危ないはずです。
監視員は、少しでも羽を広げて飛んでくれることを願っていました。
そして、「そーれ!」とサイロの上からワシをなげました。どうなったと思いますか?
ワシはヒューと落ちていき、さすがにヤバイと思ったのか、少し羽を広げてバタバタしましたが、
結局「ドォン!」と地面にぶつかってしまいました。そして、ヨロヨロしながら、
「ゴゲゴッゴ、ゴゲゴッゴ・・・ゴホッ・・」と鳴きながら、またニワトリの群れの中へ戻っていきました。

監視員は、「まだ低すぎたのか・・」と思い、最後に国立公園の中にある高い崖(がけ)の上から
ワシを投げることにしました。「お前は、ニワトリじゃない、ワシなんだ。大きくて力強く、
すばらしい能力を持っているハクトウワシなんだ。」と言い聞かせました。

ハクトウワシは翼をひろげると、2m50cmもの大きさがありました。
普段は、時速60kmで飛ぶことができました。また、どんな鳥よりも
空高く飛べることができました。また、湖や川の魚を取るときには、
上空から160キロ以上のスピ-ドで降りてきて、水の中の魚を捕まえることができるのです。
その鋭い力強い爪をもった足は、人間の腕を簡単に折ってしまう力があります。
またその目は、1kmも先にある水の中の魚を見分けることができるのです。
そしてワシは太陽を直視(ちょくし)することもできます。私たちのように、
目がつぶれることがありません。まさしく、最強の鳥なのです。

さて、その崖は約百メ-トルもの崖でした。もしここでも、このワシが羽を広げなかったら、
確実に死にます。でも、すこしでも翼を広げれば、崖の下から吹いてくる上昇気流という風で
空に飛びあがることができるのです。

監視員は、目をつむって祈りながら、「えぃ!」と、がけの上から、
ワシを空に思い切り投げ上げました。ワシはどうしたでしょうか? 
なんとまたもや、「ヒュー」と落ちて行くではありませんか。
「もうだめだ、地面にぶつかる!」と思った瞬間、ワシは、「バッ」と翼を広げたのです。
そして下から吹く上昇気流に乗って、ぐんぐん、ぐんぐん上に上っていきました。
最初はバタバタしながら、あまりうまく飛べませんでした。
でも、だんだんコツを覚えてきたのか、高く、高く空を上って行きました。
そして、夕日の方に飛んでいって、見えなくなったのです。
もうワシは、戻ってきませんでした。
この白頭鷲は本当に自分の住む場所に戻って行ったのでした。

私たちはどうでしょうか?
本当は素晴しい力、能力があるのに、まわりのニワトリと同じように、大きな空を見ようとせず、
下や、周りばかり見て、エサを見つけようと必死になってはいませんか。

神様は、「あなたの住む場所は、そこではない」と言われています。みなさんは、
ニワトリのように周りを見ながら、自分は幸せかどうかを判断していませんか?
自分が周りよりも優れているか、劣っているかで、喜んだり、落ち込んだりしていないでしょうか?
それでは、本当に幸せになるのは難しいと思います。それでは、いつまでたっても、
自分に満足できないからです。

神様は、本当の幸せはそうではないと言われます。あなたのありのままを愛し、
受け入れてくれる神様に出会うことが本当の幸せであると言われるのです。
その愛に触れるとき、私たちの心は自由になります。心は広く大きくなり、
プラス思考になります。また、性格も明るくなり、周りから好かれるに違いありません。
そして、ストレスやつらいことに対しても対処する方法を知る事が出来るでしょう。

私がその証拠です。私は、高校まで学校にもあまり行かず、町に遊びに行ったり、
家で遊んでいました。自信がなく、やけになって、ケンカや盗みをして、
警察にもつかまりました。しかし、今は、牧師になっています。

みなさんは、変わりたいと思いませんか?
私たちは、小さな世界ではなく、どこまでも高く、広い、神様に近い所で生きる力があります。
周りがどんな状況であろうとも、幸せになれる自由があるのです。
例え、毎日が苦労と悩みに満ちていようとも、心は、大空を飛べるのだと
主はおっしゃっておられます。

あの監視員が、ワシに言い聞かせたように、神様も今、
みなさんの耳元でおっしゃっておられないでしょうか?
『おまえは、そんな不自由なニワトリではない。
どこまでも大空を自由に飛ぶことのできる、素晴しい能力を与えたのだ。
だから、下ばかり見ないで、私を見なさい。上を見て、
私を待ち望みなさい。そうすれば、おまえは、新しい力を得るのだ』。
イザヤ書をお読みします。

『あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人

『愛は死を乗り越えて・・』

今日新しく、この日本語礼拝が誕生しました。
おそらく韓国では一番小さな教会かもしれません。
まだ、いろんな物事が不十分であることは承知しています。

でも、私はうれしくて、うれしくて、喜びにあふれています。とても幸せです。
それは、神様ご自身がこの礼拝を始めさせてくれたからです。

そして、今、私には1つの願いがあります。
それは、毎週ここに来て礼拝に参加される方、1人1人が、自分は愛されているという
ことを実感して、この場を後にして欲しいということです。

後ろの垂れ幕にある「愛されて生きる」は、それを表しています。

この礼拝で、神様からと、出会う人々から愛を受け、愛されて生きているんだと
知って欲しいと思います。そのことが私たちにとって一番大切なことだと思うからです。

さて、皆さんは「2人を死が分かつまで・・・」という言葉を知っているでしょうか。
クリスチャンスタイルの結婚式でよく使われる言葉です。
「○○さん、○○さん、あなたがたは、2人を死が分かつまで互いに愛し合い、病めるときも、
健やかなるときも共に助け合い、寄り添って行くことを誓いますか・・・」という誓いの言葉です。

あるところに、キムという男性と、クリキットという女性がいました。
2人は、今から10年ほど前に出会いました。
キムはサッカークラブのコーチをしていました。
ある時、チームのユニフォームを注文するためにスポーツ品を扱う会社に電話をかけた
とき、電話口に出たのがクリキットでした。

それからまもなく彼らは週に何時間も電話で話すことになり、
お互いの中に惹かれあうものを発見していきました。
数ヵ月後、彼らは初めて出会い、その2ヵ月後にはキムはもう結婚を申し込んだのです。
そして出会いからちょうど1年後に結婚しました。


結婚して10週間が経った頃、彼らの愛の誓いは究極的な試練に直面しました。
2人が運転する車は反対車線から進入してきた車を避ける為、道路わきの壁に激突し、
夫のキムは肋骨や手の骨を折り、妻のクリキットは頭蓋骨が陥没し、
死ぬか生きるかの危険な状態でした。しかし、キムの心は奇跡を信じていました。

3週間後、クリキットが昏睡状態から目覚めると、彼女は交通事故の脳への影響から
事故以前のほぼ2年間の記憶を失っていたのです。

彼女の頭には夫であるキムの記憶はありませんでした。彼女のリハビリが始まると
キムは写真や2人の色々な思い出をクリキットに話したのです。
でもクリキットは、
「あなたなんか知らないわよ、いやなの、どっか行って!」と、キムを拒否し続けました。
何度も病室に来る彼に、彼女がどんなにキムを嫌っているか、はっきりと告げたのでした。

ケガが軽かったキムが仕事に戻った時、たまりにたまった医療費は、とても大きなものでした。
しかもその費用の90%は妻クリキットの医療費だったのです。

多くの友人や知人がキムに言いました。
「もう、彼女など忘れて新しいスタートを切ったらどうか」と。

一方、妻のクリキットは、自分自身が誰なのか混乱していました。
以前のクリキットは失われていたのです。
彼女には新しい性格や特徴が表れていました。

しかし、どんなに否定され拒否されてもキムは笑顔でクリキットの所に戻っていきました。
そして、いつしか2人はデートをし始めていました。

結局、彼女の記憶は戻りませんでした。
でもそこに、新しい愛と新しい記憶が生まれ始めたのです。
そして交通事故の2年半後、2人は新しい誓いと新しい指輪を交わしていました。

キムは妻のクリキットにこう言いました。
「2人が通ったこの痛みをたった1つ、永遠に超えられるものがあります。
それは私のあなたへの愛です。」


彼らの新しい誓いは「2人を死が分かつまで・・・」ではありませんでした。
「2人は死を乗り越えて、永遠に・・・」だったのです。

この話は、まるで映画か韓国のドラマに出てくるような話ですが、本当の話です。
そして今日、実は、ここにいる皆さんにもこの同じ愛が、いえ、それ以上に素晴らしい愛が
注がれていることを知って欲しいと思います。

聖書には、イエス・キリストは花婿であり、私たちは花嫁であると言われています。
この聖書は、花婿であるイエス様が、花嫁である私たちをどれだけ愛しておられるかが、
記されているラブレターなのです。

『「わたしはあなたがたを愛している。」と主は仰せられる。』マラキ1:2新改訳

聖書のはじめにある創世記には、アダムとエバのことが記されています。
彼らは、なんの悩みも過ちもなく、イエス様と直接顔を合わせて交わっていました。
彼らは私たちが持つ、どんな憎しみ恨みも持っておらず、愛の中で最高の幸せを感じながら、
毎日を暮らしていたのです。

しかしある時、アダムとエバは、神様との約束を破り、罪を犯してしまったのです。
その結果は悲惨なものでした。

今の世界状況を見れば、みなさんにもお分かりになるでしょう。
戦争、貧困、飢え、憎しみ、痛み、悲しみ、あらゆる苦難、裏切り、自己中心、
そして人間は必ず死を迎えなければならなくなりました。

誰も彼もが「神様はいらない。自分の生きたいように生きるんだ!」と言って、
神様を無視し、ねたみ、うらみ、争いの生活をしているのです。

神様は私たち人間を見捨てることもできました。それは、あのキムが、
「あなたの事は大嫌いだからもう来ないで!」と言った、クリキットに似ているかもしれません。
私たちは、以前の罪を犯す前の記憶が失われてしまいました。
神様との素晴らしい愛の交わりを私たちはもう覚えていないのです。

しかし、花婿であるイエス様は、花嫁である私たちを見捨てませんでした。
イエス様は、私たちがどんなに彼を嫌おうとも、決してあきらめないのです。
あの素晴らしい愛の関係をまた再び持とうとしておられます。
でも、どのように再び愛の関係がもてるのでしょうか?どうしたら、
毎日、喜びに溢れた生活を送れるでしょうか? 私たち自身をよく見れば、失敗だらけだし、
多くの間違いを犯し、多くの人を傷つけ、悲しませてきました。また皆さん自身も、
傷つき、悲しみ、重荷を負っているでしょう。

このような状況で新しく愛の生活を始められるのでしょうか?
イエス様は、こうおっしゃいまいした。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
マタイ11章28節

イエス様は、みなさん1人1人の失敗、間違い、悲しみ、苦しみ、を全て背負ってくださいます。
どうのようしてイエス様はそれを始められるのでしょうか?

少し、そのことについてお話しましょう。
あるところに、スケート好きの1人の少年がいました。彼は、冬になると家の近くの凍った湖で
スケートを楽しんでいました。ある暖かい日、彼はいつものようにスケートをしにいきました。
しかし、湖の真ん中に来た時に、突然、氷が割れ、彼は冷たい湖の中へ落ちてしまいました。
彼は必死にもがきましたが、冷たい水に体温を奪われ、思うように体が動きません。
そして彼は湖の中へ沈んで行く自分を感じました。

少年は、ベッドの上で目を覚ましました。彼の横には心配そうな両親の姿がありました。
少年の経過は順調で、1週間で退院することができました。車で家に帰ろうとする時、
父親がこういいました。「家に帰る前にお前は行くところがある」こう言って、
町外れの墓地に向かいました。両親は、少年を1つの新しい墓の前に連れて行きました。

それは、郵便配達人のお墓でした。少年が溺れた時、たまたま通りかかった彼が、湖に飛び込み、
彼を助けに行ったのでした。彼は溺れる少年を氷の上に押し上げましたが、そこで力尽き、
死んでしまったのでした。彼は少年の命の恩人だったのでした。

イエス様は、十字架という方法で、あなたの身代わりとなられました。
この少年のように、あなたは知らなかったかもしれません。
しかし、イエス様は、この十字架上で、あなたの犯した過ち、苦しみを全て背負って死なれたのです。
それは、あなたがもう一度、神様との愛の関係、新しく生まれ変わって新しい命。
そして永遠の命を得るためなのです。

最初にお話しした、キムが妻のクリキットに言った言葉は真実を表しています。
「二人が通ったこの痛みをたった一つ、永遠に超えられるものがあります。
それは私のあなたへの愛です。」

そうです。私たちが抱える問題、悩み、苦しみ、痛みを越えられるものは、ただ1つ、
イエス様の私たちに対する愛だけなのです。

『主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、
わたしは絶えずあなたに/真実をつくしてきた。』エレミヤ31:3 口語訳

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』イザヤ43:4新改訳

イエス様は私たちを愛するがゆえに、十字架の死と苦しみを乗り越えて下さいました。
そして、両手を広げて、今、皆さんを待っておられます。

愛に飢え乾いている人、抱えきれないくらい重荷を持っている人、
また、新しく人生を始めたいと思っている人は、今、イエス様に心を開いて頂きたいと思います。
その時、あなたが今まで経験した事のない、心の平安と真実の愛を知ることでしょう。

このページのトップヘ