おがちょのつぶやき日記

トロント日系セブンスデーアドベンチスト教会牧師のブログです。

カテゴリ: 教会説教集

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1月15日『光と闇・和解と憎しみ』
汽茱魯1:5-10

今日の聖書の個所から分かることは、私たちが、クリスチャンであろうとなかろうと、ただ、神様がおられることや、神様が世界の全てを治めておられると信じるだけでは不十分であるということです。そのような信仰は、実は悪霊たちも持っているからです。ヤコブの手紙2章19節に、このようにあります。

『あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。』ヤコブ2:19

私たちの世界の現状について、イエス様はヨハネによる福音書3章17節から、はっきりとおっしゃいます。それは、私たちが暗闇の中を歩くのは、自分のうちにある問題や、罪に気付きながら、それが他人に知られることを恐れ、また告白もできず、隠したり、ごまかしたり、言い訳を並べたりしているからだと。

しかし、今日の最初の聖書箇所のように、光に照らされると、本当の自分が見えてきます。その自分を認め、罪を告白し、赦されるならば、イエス様との交わりが正しくなります。そして、周りの人々との交わりも正しくなります。そこに和解が成立するからです。

私たち人間が本質的に抱える、難しい根本的な問題があります。

それは、「人をゆるせない苦しみ」、そして「ゆるして欲しいという苦しみ」です。人間関係は、基本的にこれが問題となって起こってくるからです。

第二次世界大戦で、広島に原爆を投下したアメリカ人パイロットがいました。彼、クロード・イーザリーは、アメリカに帰国してから人が変わってしまいました。周りから英雄扱いされることを拒み、勲章も返還しようとしました。年金を受け取ることも断り、原爆孤児のために広島市長宛てにお金を送りました。また、広島市議会宛ての謝罪の手紙も書いています。そして、国から罰を受けることによって、罪の意識から逃れようとしたようです。刑務所を出たり入ったりを繰り返しました。彼は、10万人以上の広島市民の命を、一瞬で奪ってしまったという良心の呵責があったのです。その罪の意識から解放してくれる、ゆるしと和解を求めていたのではないでしょうか。

私たちは皆、自分ではつぐないきれない罪を抱えています。だからこそ、命を創造された、罪のない御子キリストご自身が、十字架にかかられました。それによって、主が罪をご自分の身に負われ、私たちは癒されました。

さて、私の妻が小学生の頃、大変お世話になった、沖縄の牧師先生がいます。よく先生の家で、先生自らが食事を作ってくれて、食べさせてもらっていました。新垣三郎先生という牧師です。

この先生の人生は「地獄の虹」という本にもなり、テレビでも放映され、死刑囚から牧師になったことで有名です。この先生の人生は、人がキリストによるゆるしを体験する時、人をゆるす者に変えられるという、大変よい例です。

彼は若いころ、第二次世界大戦時、父親の仕事の関係でサイパンにいました。

幼い頃、彼の母親は生活の苦しさで家族を捨てました。父親はサイパンの方で仕事をしていたので、子供達は沖縄で苦しい生活を強いられました。残された祖母の力では、三郎少年と妹たちを育てるのは、とても無理でした。

ある時父親が、三郎少年をサイパンへ呼びました。兄弟たちよりも早く大人になる三郎少年を勉強させることにしました。でも、それが三郎少年にとって、想像を絶する地獄のような日々の始まりでした。

その頃、日本とアメリカの対立がひどくなり、真珠湾攻撃が始まって、サイパンでも戦争が始まりました。サイパンの日本の守備隊も全滅しました。その中に新垣三郎青年はいました。連日大砲が嵐のように鳴り響き、雨のように砲弾が飛んできました。日本も応戦しましたが、絶望的でした。

大砲を避けるために自然にできた、ほら穴に避難していた三郎青年達の近くで、塹壕を直撃されて、蟻やハエのように人がバタバタと倒れ、死んで行きました。
そんな中、突然、ほら穴に逃げてきた兵士たちが、民間人の三郎青年たちに「出て行け」と言いました。そして、言われるままに、ほら穴を出ていった後、ドーンと大きな音がして振り返ると、自分たちが出て行けと言われて、出た穴は、砲弾で跡形もなく破壊されていました。

「死んだかもしれない…」、三郎青年と仲間の3人は死の恐怖でかけだしました。

もう死ぬしかないと思った民間人たちが、ジャングルのあちこちで、自分たちで、手榴弾を爆発させて死んでいきました。でも、大けがをしながらも、死にきれない人々が「兵隊さん殺して」と叫んでいたそうです。
また、崖の上では人が、身を投げて多くの人が死んでいきました。

三郎青年も死んだほうが楽だと思いました。そう思った時、ふと、すぐ近くで一人の少女が立ち上がりました。「危ない!」と言った瞬間、アメリカ軍の砲弾で、その少女は跡形もなく消えてしまいました。 

その時に、三郎青年は、少女の死の後に虹を見ました。その虹は近づいてきて、気が付いたら、雨が降っていました。彼は茫然としていました。地獄そのもののような場所で虹が見えたのです。

その後、神様の導きで、この時見た虹が、三郎青年の大きな励ましとなりました
なぜなら、聖書では、虹は、和解の意味があるからです。(旧約聖書ノアの箱舟)

この後、三郎青年は兵隊と共に行動し、尊敬していた城島伍長という兵隊と一緒に行動しました。そして彼の命令で三郎青年は、スパイの目的でアメリカ軍の捕虜となりました。アメリカの捕虜になった者達の中には、日本は負けたと言っている者達がいました。ある日、三郎青年は、城島伍長から、ある命令を受けました。それは日本の敗戦を認めて、アメリカに協力する日本人二人を殺害することでした。三郎青年は言われるままに、二人を殺害しました。

後になって、三郎青年と城島伍長の二人は捕まり、裁判を受けました。 
城島伍長は捕まった時、新垣三郎にこう言いました。
「いいか!知らないと言うんだぞ」と。

その後、凄まじい拷問を受けても、三郎青年は何も言わず、罪を隠していました。でもある時、城島伍長に言われました。「君は、おれと一緒に死ねるか?」と。「俺は生殺しの拷問にあうよりいっそ死を選ぶ。今迄のことを白状することで一緒に死のう」と三郎青年に言ってきたのです。

でも、それは嘘でした。今のまま拷問を受ければ、いずれ三郎青年が全て白状してしまい、自分も死刑になると城島伍長は恐れていたのでした。

しかし三郎青年は、その言葉を信じて白状しました。このことにより彼は、死刑を言い渡されました。そして、殺せと命令した城島伍長は助かって、全ての罪を三郎青年一人にかぶせて日本へ帰って行ったのです。

三郎青年は死の恐怖と、城島伍長に対する憎しみに、半狂乱の日々を送っていました。しかし、そんな三郎青年を、イエス・キリストは見捨てませんでした。

彼は、最初死刑の宣告を受けましたが、終身刑になりました。ハワイの刑務所に移りましたが、そこでの生活は変わらず絶望的でした。希望がなければ、人はやがて荒れていきます。彼は自殺も考えるようになりました。そんな中で彼は夢を見ました。いつか砲弾の嵐のなかで見た虹でした。

そして、刑務所の畑仕事をしていた時に空を見上げると、彼は虹を見ました。それから、彼は不思議なイエス様の導きに守られ始めました。まず日系アメリカ人二世の上川さんから、英語の聖書をもらいます。上川さんは、三郎青年が聖書を読まないのを見ると、今度は、日本語の聖書をくれました。

もう、3年ぐらい日本語の本を読んだことのない三郎青年は、神様には興味はなかったけれども、日本語には飢えていました。そして、聖書を読むうちに、三宅牧師と出会い、聖書を読むのが好きになっていきました。そして、日本語の聖書通信講座を学び、自分の犯した罪の恐ろしさと、キリストの赦しの愛を知りました。次第に三郎青年は、イエス・キリストの救いを信じるようになり、バプテスマを受けると言い出しました。

しかしそのためには教会に行かなければなりません。すると、刑務所の所長が、それを許可してくれました。その後、三郎青年は刑務所で伝道し、200人の受刑者が聖書の通信講座を学ぶようになりました。

ある時、三宅牧師は「ハワイは虹の多いところですね」と三郎青年に話しかけました。この時、三郎青年は、地獄の中の虹の話をしました。すると三宅牧師は、こう答えたそうです。「人生には、さまざまな地獄があっても、どんな苦しい境遇にあっても、どこかに虹がさしています。」と

その後、奇跡が起きました。ある日、三郎青年は刑務所所長に呼ばれました。
そして、こう言われました。「Saburo, You Go Home!」と。三郎青年は釈放されることになったのでした。

実は、三郎青年のあまりのかわりように、刑務所の所長自らが、三郎青年の減刑運動を始めていました。また所長だけでなく、彼を知る多くの人々が減刑運動に参加していたのでした。その頃、三郎青年は模範囚になっており、多くの囚人のリーダーとして、刑務所内の労働の責任を負っていました。また、多くの人たちから尊敬されていました。そしてついに異例のアイゼンハワー大統領の特赦によって、新垣三郎青年は自由の身になったのでした。

牧師を目指し、ハワイから日本へ帰国した三郎青年が、どうしても会いたい人物がいました。それは、自分を裏切った、あの城島伍長でした。新宿の彼の居場所を突き止めた三郎青年は、復讐に怯える城島伍長に、自分から手を差し伸べました。そして涙ながらに赦しを求める彼に優しくこう告げました。「とっくに赦していますよ」。

聖書の中で、パウロはこう言っています。

『互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。』コロサイ3:13(口語訳)

私たちは、みな取り戻すことのできない過去を抱えて生きています。育った環境、不可抗力の事故、自ら犯したしまった取り返しのつかないあやまち、うまれつきの性格もあるかもしれません。そんな中で、「あの人は変わらないよ」と思うだけでなく、自分に対しても「変わりたくても変われない」とあきらめてはいないでしょうか?

でも、人はいつまでも過去にしばられて生きていく必要はありません。だれでも新しく生まれ変わることができる、それが聖書のメッセージです。

さて、三郎青年はその後、教会の牧師になり、沖縄のパウロと言われました。そして私の妻も、妻の母もお世話になりました。

私の尊敬する大学教授から新垣牧師の有名な話を聞いたことがあります。それは、その教授が若いころ、新垣牧師が司式する葬儀に出席した時のことでした。新垣先生はアメリカ生活が長かったせいか、日本人離れしており、お洒落で豪快な方だったそうです。

その葬儀で新垣先生は、青の鮮やかなスーツと、赤いネクタイを着こなし、最初にこう言われたそうです。「この葬儀には、よいことが3つある」。みんな大変驚いたそうです。しかし、その葬儀は、最も印象に残る素晴らしい葬儀だったそうです。新垣先生は福音の本質、死の向こう側にある虹を見ておられたのではないでしょうか。

私たちも光の中を歩み、本当の交わりを持ち、イエス様によって、あらゆる罪から清められたいと思います。新しい一週間が、主と共に、光の中を共に歩むものでありたいと思います。アーメン。

「声をあげて言うべきこと」

『さて、大ぜいの群衆が集まり、その上、町々からの人たちがイエスのところに、ぞくぞくと押し寄せてきたので、一つの譬で話をされた、「種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ」。こう語られたのち、声をあげて「聞く耳のある者は聞くがよい」と言われた。』ルカによる福音書8章4¬‐8節

今日のお話の題は、「大声で言うべきこと」です。これは、8節にイエス様が「声をあげて言われた」というところから引用しています。他の訳の聖書では、「大声で」とか、「叫んだ」とあります。イエス様が、特に大声で叫ぶほどに大事なところではないでしょうか。

今日の聖書箇所は、よくご存じの場所であると思います。しかし私は以前、ある疑問を持ってきました。それは、ここを読むたびに、何か悲しい気持ちになるからでした。続いて、イエス様の解説を読んでいきましょう。

『この譬はこういう意味である。種は神の言である。道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。』ルカによる福音書8章11‐15節

私が以前、ここを読むたびに漠然と思ったことは、「自分はどの土地なのだろうか?」ということです。「心がかたくなになっている道端の固い土地なのだろうか?岩が多く、すぐに受け入れるが、またすぐに挫折してしまうような土地であろうか?あるいは、いつも周りの誘惑に負けて、成長ができない土地であろうか?果たして、自分は本当に良い土地になれるのだろうか?」そんな疑問がわいてきて、なかなか変わっていないように見える自分がなさけなくなったのでした。

しかし、ここで気をつけることは、4つの土地のタイプの人は、皆、神の「御言葉を聞いている」と言われているところです。でも良い土地の心は、同じように聞くが、「それを聞いて受け入れ」とあります。「御言葉を聞く」と「御言葉を聞いて受け入れ」では、根本的な違いがあります。「御言葉を聞く」とは、自分自身の意見や考えをしっかり持っていて、その上で御言葉を聞き、取捨選択をすることです。「御言葉を聞いて受け入れ」るとは、自分の考えがあって御言葉があるのではなく、むしろ御言葉に聞く、御言葉に自分が導かれていくことです。

道端とか、石地とか、いばらの中というのは、人間がみな持っているものです。では、よい地とはどんな土地でしょうか?イエス様は、良い地が、石なく、イバラがなく、やわらかい土であるとは言っておられません。御言葉を受け入れるとよい地になるのです。

よく、「私は忙しいから、あの人のような信仰は持てない」とか、「あの人は恵まれているから、性格がいいから、そんな状態になった」とか、「あの人は苦しい経験をしたからあんな信仰を持つが、私にはそんな経験がないから無理だ。」というように、私たちは畑の状態によって種の生長が左右されると思いやすいのではないでしょうか。でもそうではありません。御言葉を受け入れる態度によって、そこに良い地ができていくのです。その態度によって、実を結ぶか結ばないかが決まるのです。

種まきのたとえでは、ただ神を信じるか、信じないかが論点になっています。
マタイとマルコにも同じ記事がありますが、最後の種が何倍になるかについての違いがあり、実を結ぶ者の中での優劣が書かれています。マタイは「100倍、60倍、30倍」、マルコは逆に「30倍、60倍、100倍になった」書いています。しかしルカは、その優劣ではなく、ただ「100倍」とだけ書いてあります。これは、信じるか信じないかを問うているのではないでしょうか?

続いて、「あかり」についてのたとえがでてきます。これは、「種まきのたとえ」と同じ時に語られています。

『だれもあかりをともして、それを何かの器でおおいかぶせたり、寝台の下に置いたりはしない。燭台の上に置いて、はいって来る人たちに光が見えるようにするのである。隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう。』ルカによる福音書8章16‐18節

よく、「将来に希望がなく暗い」、「お先真っ暗だよ」という言葉をききます。そこには、光がありません。とても暗いのです。「あかり」とは、御言葉であり、光です。「器」や「寝台」とは生活を表しています。ですから、「あかり」である御言葉を聞いても、「器」や「寝台」などの日常生活の下においては暗く、力も知恵もないのです。それを上に掲げるときに、御言葉は私たちを照らし、慰め、励まし、支えてくださるのです。

『ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。』

彼らのうちの4人は漁師でした。つまりプロです。湖を知り尽くしていました。他の弟子たちは、漁師ではなくても、ガリラヤ湖のことはよく知っていました。その彼らが「危ない、もう死ぬ、溺れて死んでしまう」とあせっていたのです。そして、肝心のイエス様はないで寝ている。マルコの同じ記事では、こう弟子たちは言っています。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」弟子たちは、自分たちがこんな危険な目にあっているのに、平気で寝ているイエス様を責めていました。

私たちも同じような言葉を発していないでしょうか。「こんなに苦しいのに神様どうして助けてくれないのですか?」「神様、どうしてあなたは何も言ってくれないのですか?」と。

『イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。」

弟子たちも、私たちも信仰がないわけではありません。問題は信仰が「どこにあるのか」ということです。間違ったところに信仰を置いていないでしょうか。主は言われます。

『主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。』詩篇121編3、4

イエス様は、いつもあなたを見守り、慰め、導き、力づけてくださいます。現状を憂うことはありません。ただ信じるときに私たちは多くの実を結んでいくのです。そして、主なるキリストは、万物をも統べ治めるお方なのです。

心を開き、主にすべてをゆだね、今日も歩んでまいりましょう。

隠された宝「ヤベツの祈り」

『ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、「わたしは苦しんで産んだから」と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。またヤベツがイスラエルの神に、「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」と祈ると、神はこの求めを聞き入れられた。』Ⅰ歴代誌4:9,10

ヤベツの祈りは、聖書の中の「秘められている財宝」(イザヤ書45:3)と言われています。しかも、聖書の中で最も退屈でつまらない場所にひそかに隠されています。なんと9章にわたって、初めから終わりまでカタカナの名前が書いてあるだけなのです。「ヤベツの祈り」はその真ん中にポツンとあります。数ページのカタカナの名前の羅列のあとにヤベツの祈りがこつ然と現れ、それからまたカタカナの名前に戻って行くのです。

1-9章の間に出てくる言葉は、「産んだ」「死んだ」「部族」「父は」「母は」「兄弟は」くらいのものです。ほとんどの人が飛ばし読みをするでしょう。

しかも、イスラエル人のユダ族の系図の中にヤベツの名前が出てきますが、彼はユダ族に属していませんでした。神様があえてこの祈りを無数の名前の中に隠されたと思わざるをえません。

でも、発見した人にとっては宝物です。今日、あなたがこの祈りを人生の宝としてくださるように祈っています。ヤベツについては、聖書の中にここにしかありません。これを宝探しの地図として宝物を見つけたいと思います。


1.「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた」

 彼は兄弟たちからも人々からも尊敬されていました。成功もいていた人でしょう。しかし、人は成功しただけでは、尊敬されません。ヤベツは他人の気持ちを理解し、思いやることができる豊かな心を持っていたのでしょう。

「尊敬されていた」とは、部族のリーダーになったという意味です。現在のリーダーは、仕事がよくできて管理能力が抜き出ていて、企業にプラスになればリーダーになれますが、当時のリーダーは何よりもまず人格が求められていました。

この祈りからするとスケールの大きい人でおおらかなところがあったと思われます。
 
 ①人々から好かれ、明るい人でくったくがなく、人々が引き寄せられてきたでしょう。
 
 ②可能性思考だったでしょう。これは「神様にはできないことがない」という信仰からです。信仰によってものごとを積極的に見ていったのでしょう。
 
 ③信仰により自分の中に可能性を見たヤベツは、人々の中にも、可能性を見ました。どういう状況においても、どんな人にも可能性が見えたのです。彼の祈りを祈ると分かりますが、彼の人間味のある明るさが伝わってきます。落胆していても元気が出てきます。失望していても 希望が見えて来ます。
 
 ④好かれただけでなく、人好きだった。自分の中にも人々の中にも尊いものを見ました。ゆえに他の人も祝福されて欲しいと思ったのです。

2.母親は、「わたしは苦しんで産んだから」と言った

ヤベツの母は、妊娠中に夫から捨てられたのかもしれません。あるいは夫が死んでいたのか、その他の悲劇的な事件があったのでしょう。また難産だったのかもしれません。当時、難産は日常茶飯事でした。死産の率は今日の10倍以上でした。もしかしたら難産によって、ヤベツは身体的なハンディキャップを持っていたのかもしれません。

3.ヤベツ(痛み、悲しみ、苦しみという意味)という名前をつけた

生まれてきたヤベツは歓迎されなかったようです。彼の誕生はお祝いするようなものではなったのです。母親は、「痛み・悲しみ」という名前をつけたほど追い込まれた状況でした。父が名前をつける文化なのに、父親の存在の気配がないのも不思議です。
ヤベツは生まれた時から肉体的、経済的、社会的なハンデを追っていた可能性が十分にあります。ヤベツと名付けられたのは、母がヤベツの人生が悲しみと苦しみでいっぱいになると思ったからです。

よい両親から愛の中で大切に育てられるとセルフイメージは健全になる、と長い間考えられてきました。しかし最近、アメリカの心理学では色々なデータから、むしろ幼児期や児童期困難を経験し、それを乗り越えた人が健全なセルフイメージを持つということが言われています。たとえば身体的なハンディキャップを乗り越えた子、両親の離婚からくる精神的な痛みを乗り越えた子がしっかりとしたセルフイメージを持つようになるそうです。ヤベツは間違いなく出生のマイナスを乗り越えた人でしょう。

4.イスラエル人ではなかった

彼はイスラエル人のエリート部族のユダ族に属さなかっただけでなく、イスラエル人でもありませんでした。全くの外国人だったのです。だからこそ、今日、みなさんにもこの祈りを祈って欲しいと願っています。あなたがクリスチャンであろうがなかろうか、全く関係ないからです。ただあなた自身のためにヤベツの祈りを試してください。

歴代誌のはじめの9章を読むと、偉大な人たちが沢山出てきます。エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、ソロモンの名前が登場してきます。驚いたことに、彼らに対しては何一つコメントがありません。この500人以上の名前の中で誉められているのはヤベツ以外に誰もいないのです。異邦人、外国人であるヤベツだけが、選民イスラエル12部族の系図の中でただ1人誉められている。これは聖書の中でも例外中の例外です。

しかし、異邦人として大きな業績を挙げたのならまだしも、祈りの民族イスラエルの中で祈りの人として認められたのです。そして彼の祈りは、「ヤベツの祈り」として国中に広まっていったのです。ヤベツはこの祈りを絶えず口にしていたに違いありません。イスラエル人は、彼の知恵や業績やリーダーシップの背後にこの祈りがあることを認めたのです。ヤベツという人物を作り上げたのはこの祈りだと。

5.かなえられた祈り

「ヤベツは自己中心的すぎませんか?」そう思う人もいるでしょう。確かに彼は自分のことばかり祈っています。短い祈りの中で4回も「私を」という言葉を使っています。

「神はこの求めを聞き入れられた」
自己中心的かどうかは別として、神様はヤベツの祈りを聞かれたのです。この句は私たちにも大きな励ましを与えていないでしょうか?あたかも「あなたも同じ言葉で祈ってごらん」と神様が言われているようです。祈りに関して、これ以上の決定的なことばは他にありません。ヤベツの祈りは聞かれました。そしてヤベツの祈りを祈る私たちの願いも答えられるでしょう。

『何事でも神のみこころにかなう願いをするならば、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です』(第一ヨハネの手紙5:14)

祈りは神様に向かうものです。要するに、神様が私たちの祈りをどのように思われるかがすべてなのです。自分の内に違和感があろうと、人々がどう評価しようと、最終的にはどうでもよいのです。自分の気分のためや、ほめられるために祈るのではありません。

6.「どうかわたしを祝福してください」

こんな話があります。ジョーンズさんという人がいました。彼は死んで天国へ行きました。ペテロは彼に天国を紹介してくれました。ペテロは黄金の大通りや、美しい邸宅や水晶よりも透き通る川を案内しました。

途中で、天国には似つかわしくない大きな四角い倉庫のような建物が目に入りました。
その建物には窓がなく一つの入口しかありませんでした。中を見せてもらいたいと頼むと、ペテロはためらって「その中を見てもしょうがないよ」とそっけなく答えました。

ペテロはすばらしい秘密を隠しているに違いない、と思ったジョーンズさんはしつこくお願いしました。しぶしぶペテロが入口を開けると、ビルの中に隙間がないほど、はじからはじまで何段もの棚があり、その棚には赤いリボンで結ばれた白い箱が数え切れないほど置かれていました。

「いったいこのプレゼントはだれの物ですか」と尋ねると、ペテロは「これは君が生前受け取るべき神様のプレゼントだったんだよ。でも君が求めなかったので、ここにとどまったままなんだよ」と答えたということです。

このジョーズさんとは、あなたのことです。神様は、あなたに多くの祝福を与えようとされています。あなたがまだ願ってもいないプレゼントを沢山用意されているのです。大学でのよい成績や、素晴らしい出会いかもしれません。働き甲斐のある仕事かもしれません。でも、祈る時は、自分の願いに固執しないでください。神様が与えようとされるものをもらってください。多くの人が祈ってもきかれないのはここが問題なのです。

7.「わたしの領土(境界線)を広げてください」

みなさんが心を込めてこの祈りを祈る時に、まず心の周りに作った限界が瞬間的に破壊されます。私たちは、自分の可能性に限界という境界線を引く傾向があります。

私たちは、自分が安心するために自分の境界線、居場所を求めます。それがないと不安になるからです。しかし、この境界線は安心感を与えはしますが、未来の働きを止めてしまうという働きもあるのです。境界線の自分の領土の中にいると、そこ安住し、もう動きたくなくなってしまいます。特にこの境界線が小さく設定されていると、あなたの心が萎縮し、小さな限界に縛り付けてしまうのです。多くの場合、私たちは自分の境界線を引き、自分の小さな領土の中に閉じこもって安住しているのです。

領土、境界線とは、個人の可能性を表します。ストレッチングという言葉は、日本ではストレッチ運動のことですが、アメリカでは、主に才能を引き伸ばすことです。今までしなかった勉強や技術、スポーツ、仕事にチャレンジすることであり、新しい分野に取り組むことです。あなたがこの祈りを祈る時、心の奥底に秘められた可能性を引き伸ばすのです。

8.「御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」

「御手」とは、神様が共にいてくださることです。また、あなたの敵を滅ぼす手であるということです。そして、いつでも神様である聖霊様が共にいてくださるということです。また「災い、苦しみからの守り」とは、様々な事件、災害だけでなく、最も大きな敵である、サタンと自分自身の罪からの守りを求めているものです。


最後に、この祈りを祈る時には、「神様を呼ぶこと」を心に覚えてください。
ポイントは、「大声で、熱心に、信じて、行動する」ということです。

以下の3つのことは、神様のご性質を現しています。

 1、神様はあなたに祝福の計画をもっておられる
 2、それはあなたの生涯に実現する
 3、もし心を尽くして主を呼び求めるなら答えられる

求めて下さい。求めないと与えられません。神様はすでにあなたが必要としているものを用意しておられます。

今日からあなたもこの祈りを祈ってください。かかさず1週間、毎日何回か祈って行くうちにあなたの人生は大きく変って行くでしょう。

『どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって
災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください』


参考:「ヤベツの祈り」B・ウィルキンソンhttp://www.wlpm.or.jp/pub/0441/index.htm
           平野耕一 http://www.agape-tls.com/ipoema/books/prizm/prizm.html

「素敵な男女関係の秘訣」下

男性には、自分だけの場所が必要です。ゆっくりできる場所、
自分のありのままの姿をさらけ出せる場所が必要なのです。
本来は家庭や恋人のところがそうであってほしいのですが、
それができない場合、車で何処かへ行ったり、トイレで新聞を読んだり、
あるいは、友人とお酒を飲みに行ってしまうわけです。

男性は結婚すると、彼女や家族を守るために仕事に専念します。
社会的なプレッシャーが加わることによって、自分のありのままでいられる場所を求めるのです。


 ○ウルトラマンは危なくなって登場する
ほとんどの男性は女性の不満に気づきません。女性が「助けて欲しい!」と
感じていてもダメな場合が多いのです。女性がパニック寸前になって、
ようやく気づいて助けようとします。

男性は自分の結婚記念日や妻の誕生日さえ忘れることがあります。
女性にはとうてい考えられないことかもしれませんが、事実です(私もそうですが・・)
それが離婚に結びつく場合も多くあると聞きます。実際のところ、
男性が覚えていられる記念日は、バレンタインとクリスマスぐらいです。
町中にサインがいっぱいあるし、コマーシャルもたくさんあるので忘れないのです。

女性は忘れて欲しくない記念日は、1ヶ月前くらいから分かりやすいサインをしたり、
カレンダーに印をつけるのもよいでしょう。男性は記念日さえも忘れるのですから、
ましてや女性が助けを求めているときに、それに気づいてと言うのは少々酷かもしれませんね。

 ○賞賛が命、最大の敵は無力感 
男性にとって、賞賛されることこそ、奮い立つビタミンのもとです。
反対に敵は「非難」です。これはウルトラマンである男性にとって、
基本的に受け入れられないものです。非難は無力感につながるからです。
ウルトラマンが無力感につつまれていたら、彼は怪獣を退治しに来ないでしょう。
ウルトラマンである男性が勇敢に戦うためには、女性の助けが必要です。
誰よりも自分に自信を持たせてくれ、生涯の素晴らしい女性となってくれる人。
例え失敗しても、最後まで自分を認めてくれる人、そういう人を男性は求めているのです。


 ○女性は誰でもシンデレラ!
続いて、男性の方はぜひ耳を傾けてくださいね。
「女性は誰でもシンデレラ」と言われています。これが女性を理解するポイントです。
みんな自分の王子様を探しているのです。その王子様から誰よりも愛されたい。
誰よりも大切にされたい。お城で王子様と一緒にずっと幸せに暮らしたいと願っています。
女性は「自分の愛する男性から、誰よりも一番愛されている」と感じている必要があります。
いついかなる時でも、いかなる状況の中であっても、自分が世界中で一番愛されている。
この実感をいつも女性は求めているのです。

 ○女性の基本的欲求は「安心感」
女性は、誰よりも自分は愛されているという安心感を得たいと願っています。
男性の方はこのことを覚えなくてはなりません。これは、精神的安定と共に、
物質的な安定も含まれています。でも、物質的安定以上に大切なのは、
精神的安定です。「一番愛されたい。一番大切にされていたい」と熱望しているのです。
つまり、シンデレラになりたいのです。この安心感が満たされている限り、
どんな逆境でも乗り越えて、生きていくだけの力が女性には備わっています。

もし、男性が女性の心のケアを充分にできれば、またいつでも「自分が一番愛されている」
という安心感と喜びを与えることができるならば、彼女は、男性が行くとろには、
地の果てまでも喜んでついて来るでしょう。


 ○「愛している」と言うことが大事!
男性はたいてい事実を見つめ、無口な性質を持っています。
逆に女性は、客観的事実より感情を基準にしがちです。
ゆえに、結婚してご主人が無口になると「もう自分は愛されていない!」
「私たち、もう終わりなのね」となってしまうのです。

しかし男性にとっては、家に帰るという「事実」が自分の愛の証拠だと思っています。
男性は女性の感情部分に気を使う必要があります。
ですから男性は女性にわかるような愛情表現をしなければなりません。

今日、女性に「愛している」と言う言葉をかけて下さい。
男性はそんな言葉は必要ないと思っているかもしれませんが、
女性に必要なのは、ただこの言葉なのです。


 ○男性は理解できれば行動する!
男性は一般的に、論理的、理性的に納得すると、それを実行に移す能力に優れています。
これは男性の長所でしょう。女性は逆に受身の部分があるので、自分からではなく相手からの
アクションを待つ傾向があります。

ですから女性の方は、何か彼にして欲しい事がある場合は、男性を責めず、
自分の気持ちを優しく語り、どうしてこうして欲しいのかを論理的に話してあげて
下さい。男性が「自分は責められていない」と感じれば、そのことに納得し
すぐに行動に移してくれるでしょう。


 ○1日どのくらい会話が必要か?
女性は、コミュニケーション、心の分かち合い、感情の共有を求めています。
一般に、夫婦の会話は1日に最低1時間必要だと言われています。
男性にとっては不可能に近い数字だと思うかもしれません。
しかし、朝10分、電話で10分、夕食時20分、寝る前に20分話せば1時間になります。
男性諸君は、ぜひトライしてくださいね。

また、結婚前にあった、2人のデート時間も必要でしょう。
1週間に1度は時間を決めて、2人の時間に用いてください。
女性は、シンデレラですから、ずっと変わらぬ愛情を受けていたいのです。

また女性には、ノン・セクシャルなスキンシップも必要です。
肩にそっと手を触れるとか、手を握るとか、色々です。


 ○恋愛ではない、本当の愛
ギリシャ語の「愛」という言葉には3つの意味があります。
肉体的な愛「エロス」、兄弟愛「フィレォー」、そして無条件の愛「アガペー」です。

結婚相手に生涯変わらぬ愛をもって接するためには、「アガペー」が必要です。
結婚すると2人がいかに違う存在か、嫌になるほど見えてきます。

世の中には、浮気をする男性がたくさんいます。奥さんはほっておいて、
若い女性と遊び歩きます。それがまるで自慢のように言う人さえいます。

これは「エロス」の愛です。
もしあなたの恋人や結婚相手の愛が、「エロス」だけなら、
あなたよりもスタイルのいい女性が現れたら、彼はあなたを捨てて、
その新しい女性を追うようになります。

あなたが歳を取ったら、若い女性に魅力を感じ、以前のように
愛してくれなくなるやもしれません。彼も体型が変わって、
おじさんになることでしょう。それでもあなたは彼を無条件に受け入れ、
尊敬し、変わらぬ愛を与え続けなければならないのです。

あなたは、どんなに歳をとり、外見は変わっても愛されたいと思うはずです。
出会った時のように愛されたいと願うでしょう。そんな愛は条件つきの愛ではありません。

あながたどんな状態であろうとも、どんな人になろうとも愛する愛、
無条件の変わらぬ愛。「アガペーの愛」が必要なのです。

お互いに100%のコミットメントをする。それが結婚の誓約です。
あなたが選んだ、唯一の相手ですから、あなたの一生を捧げる価値があります。
そのことを公に認め、固い決意と意志を、人と神との前で約束するのが、結婚の誓約です。
この意味が確認されなえければ、誓約の言葉には意味がないのです。
逆に、これができてさえいれば、どんな問題も乗り越える事ができるのです。

最後に、お互いに赦しあうことが一番の愛であることを覚えてください。
赦しあうことこそ究極の愛なのです。赦さない心はその人の心と人生を壊していきます。

「人は赦し方を知らないと相手に優しく接することができない」と言われています。
これは十字架上のイエス・キリストにみることができます。

どうか、あなたの愛する人との関係が本当に充実し、
幸せなものとなるよう祈っています。

参照:「この人と結婚していいの?」石井希尚 著 http://www.shinchosha.co.jp/book/129431/
この本を参考にしています。とても良い本です。詳しく知りたい方は買ってくださいね。

4/21「素敵な男女関係の秘訣」

今日も、皆さんにとても大切なことをお話したいと思います。
ほとんどの人にとっては、これは一番大切なことかもしれません。これから恋愛する人も、
いま恋愛している人も、もうすぐ結婚をしたいと考えている人、また、今結婚している人にとっても、
重要な事です。あるいは、普通の友人同士の男女間でも重要な事です。

『創造の初めから、神は、人を男と女に造られた』マルコ10:6

最近、韓国では芸能人の離婚の話がいくつかあったように思います。結婚したばかりのカップルがご主人の暴力で離婚したと言う話を聞きました。それだけではなく、韓国では離婚が1年で15万件以上あるといいます。

なぜ、離婚がこんなに多いのでしょうか?男女の関係、そして結婚生活はそんなに難しいものなのでしょうか?男女間の違いはあげればきりがありませんが、今日は男女間の理解のためにいくつかお話したいと思います。

1.大前提。男と女は全く違う!
(ア)脳の使い方が違う。

 ①人間の脳は、右脳が芸術的分野や、空間認知能力を担当し、左脳は言語、分析、
論理的能力を担当しています。最近、女性は男性より、右と左の脳をつなぐ神経が
太いということがわかってきました。男性は、左脳を使っているときは、右脳をつかっていません。
しかし女性は左脳で考えながら、右脳で感じるという事が簡単にできます。
このことによって行動や思考が違ってくるのです。

 ②一般に女性は喋るのが好きですね。男性は皆そう感じています。ある説によると、
男性は1日12000語の言葉を話すと言われています。逆に女性は24000語以上話すと言われています。
男性は、一日の勉強や仕事で12000語の言葉をほとんど使い切っています。
しかし、女性は仕事が終わって会う恋人や、夕方帰ってくるご主人と会う時には、
ウォーミングアップを終えたところで、これから話すぞ~という感じです。
しかし、男性はそんな女性には耳をかさずにテレビを見ているということが普通です。

(イ)離婚が世界一多いアメリカでは、近年、結婚前のカップルが2人そろって専門のカウンセリングを
受けることが多くなっています。カリフォルニア州、フレズノ市というところでは、
教会で結婚前のカウンセリングを受けていないカップルは、結婚届を受けつけないという条例が
あるほどです。韓国はどうですか? 結婚する人はカウンセリングを受けているのでしょうか?

いま韓国では、毎日約850組のカップルが結婚しています。そして毎日約400組が離婚していると
言われています。この数年間では、結婚5年までの離婚率が60%を越えているといわれています。
つまり結婚して5年未満のカップルは、10組のうち6組は離婚してしまうというのです。

(ウ)具体的な違いについて

 ①男は裁判官、女は体温計
男性は、裁判官にたとえられます。裁判官は新しい事実だけを発見し、それを順序だてて話します。
2回も3回も同じ事は言いません。1度言った事は、2回繰り返される事はないのです。
男性も同じ性質がありますから、家に帰った時、奥さんが「今日はどうだった?」と聞いても、
「別に」とか、「特に何も・・」という事が多いのです。裁判官ですから、
新しい事実以外に説明する必要を感じないという訳です。
そんな夫に「もう、私を愛していないのね!」と嘆く奥さんは多いでしょう。

逆に女性は体温計にたとえられます。いつも2人の心の温度を計っていたい。
同じ気持ち、感情を感じたいと願っています。ですから、男性の気持ちをいつも計り、
自分で感じていたいのです。男性の方、家に帰ったら奥さんに何でもいいから、
つまらないことでもいいからお話ししてあげましょうね。

 ②男は目標達成思考、女は同情と感情を共有したい
基本的に、男性はハンターと言われています。彼女をゲットするまでは知恵を使い、
お金を使い、時間を使って彼女の気を引こうとします。しかし、一旦結婚すると、
気をひく必要がないので途端に無口になってしまいます。

また、男性はウインドウショッピングが大の苦手です。女性は買わなくても服を何着も試着したり、
色々見て回って楽しめますが、男性にはとうてい理解できないことです。
男性の買い物は大体こんな感じです。買い物に行く前に、行くべき店は既に決まっています。
また買う品物も頭の中にあります。そして行って、買って、家に帰るのです。
男性は人ごみの中で長くいることができないからです。

会話も同じですが、女性のウインドウショッピングのような、どこに行くか分からない会話には
男性はついていけないのです。女性の方は、少し論理的に、順序だてて話しましょう。

男性にとってコミュニケーションは自分の伝えたい事を、自分の伝えたい時に、
なるべく簡単に省略して結論だけを一方的に伝えることですが、女性にとっては、
コミュニケーションは生活そのものです。自分が安心や平安を感じるかという
感情生活がバロメーターになっているからです。「人生を共有している」という実感を
必要としているのです。女性は愛しい人とは「いつでもどこでも」コミュニケーションを
持とうとします。男性はぜひ覚えておきましょう。

男性は物事をすぐに客観的に見ますが、女性は、自分のこととして受けとめることが多いのです。
ですから、女性が相談を受けた場合、自分は関係ないのに同じように悩んでしまう場合があるのです。

もう1つ大事なことは、男性の頭の中は小さな部屋に分かれています。つまり、仕事の部屋、
彼女の部屋、趣味の部屋というように、何かをしている時には、その部屋のことしかできないのです。
女性は付き合い初めとか、結婚したばかりの頃は、仕事帰りの彼氏や夫にこんな質問をします。
「ねぇ、今日私のこと考えた?」男性は「もちろんだよ・・」と答えるでしょう。
しかし、男性はあなたのことは考えていません。仕事をしている時には、
他の事を考えられないのです。仕事を終わってから初めて彼女や奥さんのことを
考えることができるのです。ですから、テレビで野球やサッカーの試合、
スポーツニュースを見ている時に、どんなに話しかけても、男性は聴くことができません。
女性はよく覚えておきましょう。

反対に、女性にとっては一度にいくつものことを同時進行で行ったり、考えたりするのは朝飯前です。
食器を洗いながら、夕方どんな献立にしようかしらと考えながら、ご主人とどんな話をするかとか、
一日のことを分かち合いたいと楽しく考えることができるのです。


 2.男はウルトラマン、女はシンデレラ
女性にとってはとても大事です。これがわかったらすれ違いの8割は解決したと同じだそうです。
ウルトラマンは正義の味方で、地球を救うためにやってきた存在です。
そしてウルトラマンは強いのです。また、光の国に住んでいて、地球が危なくなると登場します。
でも3分しか戦えない・・

ここから分かることは、男性は自分のことを正義の味方と思い込んでいるし、
そうしないと生きていけない存在です。また、男は普通、自分から謝りません。
自分が悪いと思っても、かえって言い訳するのです。正義の味方は愛する人を守るのですから、
自分のしたことで愛する女性が泣いているような状況は、ありえないのです。

私は世の中の男性と同じように、女性の発言に自分が責められているように感じることが多くあります。
例えば、私の妻が2人で会話を楽しんでいるとします。
「ねぇねぇ、○○先生はね、奥さんの誕生日にハワイ旅行に連れて行ってあげたんだって。
やさしいね!」と言ったとします。すると私は、「俺だって去年の誕生日にはレストランに
連れて行ったし、花もあげたじゃないか!このシーズンに海外旅行するなんて、
○○先生は、よほど暇なんだな!」と言ってしまうのです。
すると、ただ会話を楽しみたかった妻は、なんで夫が怒るのか分からず、
険悪な雰囲気になってしまうのです。

女性は、男性が常にプレッシャーを受けていることを知ることが大事です。
結婚する前にはないが、結婚した瞬間から、家庭を治め、安定を維持しなければならないという
社会的な責任を無条件で感じるようになるからです。1日が終わると責任を果たしたということに
なるのです。男性は基本的に家族から「最も尊敬される」ことを最重要課題として生活している
といって過言ではありません。ですから奥様はご主人をねぎらい、賞賛してあげてください。
それが内助の功ではないでしょうか。

ウルトラマンである男性はプライドがあるので、女性と分かち合う事が難しいのです。
女性は感情生活を共有したいので、言葉も感情的なことを話します。
「こわい、さびしい、あ!どうしよう、あーっひどい!」でもこれは、
男性にとっては、責められているように感じます。
「ありがとう、おつかれさま」が大事です。

また男性は、女性から相談を受けるとすぐに答えを出そうとします。
しかし、女性は答えを求めているわけではありません。女性は話を聞いて欲しい、
感情を受け止めて欲しいと思っているのです。私が妻に相談された時も、
私はすぐに「これはこうだよ!」と言ってしまいます。
すると妻は「最後まで聞いてよ!」と言うので、
私はハッとして「はい・・」となる場合が多いのです。

女性の涙はパニックのもとです。男性は正義の味方ですから、
相手が泣くことはあってはならないことです。なのに、目の前では、
自分の彼女や奥さんが泣いている!
実は、ほとんどのウルトラマンである男性はどうしたらよいか知りません。
ほとんどの男性はパニック寸前になり、自分を正当化してしまうのです。
「自分は正しい!自分は間違っていない!」と。
しかし、女性にとっては冷たくされ、自分を拒否されていると感じてしまうので、
強いショックを体験するのです。

また、男性は誰よりも強いヒーローなので、恋人や奥さんが他の人に相談するという状況は、
傷つきます。自分が彼女にとって「誰よりも強いヒーロー」と感じていないといけない訳です。
こういう状況では、男性は嫉妬してしまいます。嫉妬は劣等感の一種です。
男性に不安を感じさせないように、賞賛が必要です。女性が彼やご主人に、
頼りがいのある強い存在として、「いつもありがとう」とか、
「あなたがいると本当に安心するわ」という事が必要になってくるのです。
そうすれば、彼はどんなこともあなたのためにしてくれるでしょう!

「素敵な男女関係の秘訣 下」 に続く


参照:「この人と結婚していいの?」石井希尚 著 http://www.shinchosha.co.jp/book/129431/
この本を参考にしています。詳しく知りたい方は買ってくださいね。

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