おがちょのつぶやき日記

トロント日系セブンスデーアドベンチスト教会牧師のブログです。

2011年03月

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このところ、体調を崩してブログを休んでいました。
もうそろそろ大丈夫ですが、体調のせいかまだ肌の状態がよくないです。

その間に、大阪からダニエルさんというアメリカ人の方が1週間近く、
うちの教会に泊まっていました。もう15年ほど大坂方面に住んでおられて、
日本語がペラペラでした(大阪弁も)。

ダニエルさんは「自給伝道者」で、英語のキリスト教出版物を翻訳・出版して、
それを配りながら伝道しておられます。

よほどの信仰がなければ自給伝道は出来ないと思います。
それも海外ですから、そういう意味で、私にとって本当に尊敬できる方です。

私たちの教会で礼拝説教をしていただきましたが、その中の話で、
アジア諸国を中心に35ヶ国も周り伝道したと聞き、驚かされました。
教会の若者もいい刺激を頂きました。

そんなわけで、土・日の午後は、ダニエルさんが日本へ帰る前に
ソウルの案内をさせてもらいました。もう15回ほど韓国に来られているようですが、
観光では来ていなかったので、行っていない所で、基本的なところを廻りました。

まず本人の希望で、韓国で一番大きい本屋である「教保文庫」(改築オープンしたばかり)、
そして定番の観光名所「インサドン」、食事は韓国定食で、化学調味料を使わず、
韓国産の野菜だけを使っている「チリ山」で、ラストは時々行くサウナつき温泉の
「チンチルバン」でしめました。

ちょっと私の体調が悪く、きつい時もありましたが、
ダニエルさんの普段のご苦労を労うつもりで行かせて頂きました。

あと、普段聞くことの出来ないアジアでのキリスト教の伝道の実態を聞くことができ、
本当に興味深い時間を過ごせました。

いつも日本のために伝道してくださり、ありがとうございます。
ダニエルさん、少しはリラックスできたでしょうか?また来てくださいね~!

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1週間ほど前、次男と三男が通っていた韓国のオリニチブ(保育園)の最後の当園日があった。
次男を4月からソウル日本人学校の幼稚部へ入園させるための選択だった。
三男は一年間、妻が家で世話することになった。

その韓国の保育園は、9月に今のアパートに引っ越してきた際、近所のクリスチャンの
おばあちゃん(地区の顔みたいな人)に薦められた所だった。

今まで通っていた江南区の設備の整った幼稚園とは比べられないが、気に入ったのは、
年配のベテラン先生が多かったことだ。江南の幼稚園を何箇所か回った時は、
どう見ても、20代の女性の先生ばかりで、しかも面接で美人ばかり選んだんじゃないか
と思うくらい、きれいな先生が多かった。

もちろん、難関の採用試験を受かった方ばかりだから、優秀には違いないだろうし、
なんの不満もなかった。しかし、今回の保育園は、園長先生を初め、他の先生方にも
恵まれたと思う。

写真の通り、アパートを使った少し狭い保育園ではあったが、子供たちはすんなり慣れた。
それは、いつも登園した時、また迎えに行った時に必ず先生方が、子供たちを「ぎゅっ」と
抱きしめてくださり、いつも笑顔で愛情深く接してくださったおかげだと思う。
また、写真には写っていないが、保育園の園長先生も人格者で信頼できる人だった。

さすが近所で有名なおばあちゃんが、孫のために断食して祈って決めただけのことはあると
妻と話していた。本当はもう少し通わせたかったが、やはり日本人学校へ行った方が
金銭的にも、私たちの送り迎えの時間も短縮できるので、このような選択になった。

韓国の保育園や幼稚園は、とにかく勉強をよく教えるところが多い。この保育園も、
韓国語、英語、音楽など多くの学びの時間があったが、それに加え1週間に1回は、
近くの大きな体育館や、外で思いっきり遊ばせてくれた。

あと、日本の幼稚園や保育園ではないと思うのだが、こちらでは登園してすぐに
朝食と言うか、間食が用意されている。だから朝食を食べなくて保育園に通う
子供たちも多いようだ。それに3時のおやつもあるから、昼食と合わせると、
ほとんど1日3食頂いているようなものだ。韓国の子供たちが日本の子供たちよりも
体の大きい理由が分かる気がする。

三男はまだ言葉を話せないが、次男は3歳で韓国語も日本語も理解でき話せるので、
あと6年間で、韓国語を忘れないようにさせたいと思っている。

今まで4人の子供たちを日本と合わせると6箇所の幼稚園、保育園に通うせてきたが、
子供たちに一番いいところだと思ったのは、宗教教育がある幼稚園だ。

これまでには、3箇所そのような所に通ったが、日本の茨城県行方市に住んでいた時に、
長女が通っていた「のぞみ幼稚園」が一番よかったところだ。
「知育・徳育・体育」がバランスよく備わった幼稚園だったからだ。色んな面で
文句のつけようがなかった。今でも、下の3人を通わせられたら・・・と思っているほどだ。

私は中学校で3年間働かせてもらった。妻は、小学校教師の資格を持っているし、
また、一年間、日本の幼稚園で保母として働いた経験がある。
だからという訳ではないが、これから幼稚園を探される方は、ぜひ時間をかけて
じっくりと選ぶことをお勧めする。妻はそのことに妥協しなかった。

時間とお金の関係で、近くの所という選択は仕方のないところではあるが、
もし可能であれば、私の近所のおばあちゃんのように、よく祈ってみると、
いい学校が必ず見つかるだろう。子供たちが自由にのびのびと楽しく暮らせ、
本当に愛され、真に大切なことを教えてくれるところが一番だと思うからだ。



『3:1わが子よ、わたしの教を忘れず、わたしの戒めを心にとめよ。3:2そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。3:3いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。3:4そうすれば、あなたは神と人との前に恵みと、誉とを得る。3:5心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。3:6すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。』 旧約聖書 箴言3:1-6


『내 아들아 나의 법을 잊어버리지 말고 네 마음으로 나의 명령을 지키라.
그리하면 그것이 네가 장수하여 많은 해를 누리게 하며 평강을 더하게 하리라.
인자와 진리가 네게서 떠나지 말게 하고 그것을 네 목에 매며 네 마음판에 새기라.
그리하면 네가 하나님과 사람 앞에서 은총과 귀중히 여김을 받으리라.
너는 마음을 다하여 여호와를 신뢰하고 네 명철을 의지하지 말라.
너는 범사에 그를 인정하라 그리하면 네 길을 지도하시리라.』 잠언 3장1-6

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福島にいる友人の牧師からメールが届きました。
まだ電話が不通だそうですが、インターネットだけ使えるようになり、
近況を報告してくれました。


『ようやくネットが今、つながりました。3月16日、16:45です。被災しましたが、大丈夫です。元気にやっています。

福島教会は現在、12名の方々が避難されてきています。教会員のお友達や教会員です。みなさん、津波の被害、原発の避難勧告でこちらまで命からがら逃れてきました。
津波を横に見ながら、必死に山の方面に向かって車を走らせた方もおられます。

原発の事が沢山報道されていますが、こればかりはわたしたちの範疇を超えています。報道を聞いていると「息をするな、外に出るな」と言っているように思えます。しかし、わたしたちは至って元気です。とにかくみんなで励まして、連絡を取り合って、協力し合って頑張っています。福島教会も未だ水は通っていません。しかし、ADRA-Japan(国際NGO)や教団の救援部隊が来てくれました。涙がでるほどうれしかった。この物資で、近隣の方々に水を分け、食料を届けることができました。しかし、まだ食料は整っていません。多くの被災地が燃料、水、食料、人手を必要としています。福島市、福島県郡山、福島県須賀川に、福島県の海沿いの被災者たちが避難してきています。まだまだ寒いので、燃料がとにかく必要です。

しかし、祈りというのは本当に力になります。わたしたちを見ていてくださる方に祈り、ともにいてくれるように願い、聖霊が使わされて、ふっと「あ、今、安心している」という、ものすごい安心感が与えられます。不思議なことですが、今わたしと妻が経験している事実です。神が私たちのために働いてくださっています。

物資は底をつきません。ホントに、この状態が一ヶ月続いたら、と不安がっている人が沢山いますが、その人の所に、少しずつですが、ものを分けてあげられるだけは備えられました。しかし、足りない事実は残ります。それは事実ですが、これからのことは、神様が必ず何とかしてくれる。とってもうれしい言葉が心の中でこだましています。

教会に避難してくださった方々の中にも、両親との連絡がつかない、職場の人と連絡がつかない、という方々がおられます。被災地では、プラカードを下げた男の子が両親を捜したりしていました。彼らに燃料と毛布と、食べ物と、安心を送りたいと祈っています。

病院にいた1歳と3歳双子の三人が、福島市内の病院に搬送されました。教会に身を寄せている方の親戚です。肺炎にかかってしまったとのことです。しかし、退院したら一家で行き場はありません。この家族のために、教会員が名乗りを上げてくれました。神様の聖霊が働いています。

わたしたちができることは限られています。実際、わたしはほとんど何もできていません。しかし、教会がここにあるだけで、神様が必要を満たしてくださいます。

原発が最悪な状況であっても神様へ祈る時、神様は必ず、わたしたちを持ち運んでくださると思います。原発の報道を見るたびに、「わたしたちはこの恩恵にあずかっていたはず」と思います。あそこでは今も、自分の命を投げ出して働いている方々がいるのです。その原発で働いていて、避難できた人も今、わたしたちとともにいます。彼は、地震の時、原発にいて、すぐに避難したそうですが、これまで揺れたことのなかった原発が今回は揺れて、停電になり、本当に危機を感じた、と言っています。これは、対応云々の問題ではなく、自然の前に無力なわたしたちのあり方を示しているに過ぎないのではないでしょうか。だれも原発や東京電力を責めることはできません。

教会員に、福島原発のオペレーターを訓練する所で働かれていた方もいます。この方も、今回の事は想定していたこと以上の事で、だれにも防ぐことはできなかった、と言っていました。わたしはこの言葉を重く受け止めました。原子力は本当に強い力で、わたしたちに電力を供給していました。ただ、押さえられないだけだったのです。人間には無理だったのだと、今分かっただけでした。

今わたしたちは、原発事故は脅威ですが、神の御手がわたしたちを覆ってくださる、と確信しています。放射能の影響はあるかもしれません。早く死ぬことになるかもしれません。しかし、わたしたちの国籍は天にあります。わたしは最後まで、わたしの人生が続くかぎり、妻と子供たちを守り、被災者たちと手を取り合って助け合い、神様の愛を実行したいと思います。

みなさん、祈りましょう。今も祈ってくださることを感謝します。ますます奇蹟を祈りましょう。神様が早く来てくださるように。苦しみの中でも、「あなたは独りではない」と声を掛け合えるように。人の手を取って、目を見つめあい、同じ神様の子供として、キリストの兄弟として、今日一日を生きていきたいと思います。』


17日、この教会に救援物資第2便の2tトラックが到着したそうです。
今も災害と戦っている被災者のためにお祈りいたします。

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ロープウェイから登れるところは、少ししかなかったが、
写真を撮るときは、物凄い突風が吹いてきて、飛ばされそうになった。
近くの人たちも皆しゃがんで、岩陰に隠れ、突風がすぎるのを待っていた。

最後に山を降りる時、友人の牧師に日本の方角を聞いた。
指差された方向を見ながら、海の向こうに少しでも日本が見えないかと探していた。

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ロープウェイから美しい山々が見えた。 
今日は、中国とタイの団体客が多かった。
タイの人たちは雪など見たことない人が多いのだろう。
山そっちのけで、雪が残っている場所で記念写真をとりまくっていた。

上に着いて、そこから登って行ったら足元に「リス」を見つけた。
こんな過酷な環境でも冬眠して、逞しく生きているんだと思った。

東北地方で被災された方も、この寒さと厳しい状況をを乗り越えて欲しいと願った。

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