この数ヶ月間、ブログから離れていた。
3人目の子供が生まれ、妻と共に子供たちが沖縄からソウルへ
戻ってきてから、そんな時間はなくなったからだ。
子供がたくさんいるのは幸せではあるが、余裕がなくなった。


最近、少しだけ時間ができるようになったので、
ちょっとづつ、無理なく日記を書くことにした。


さて、もうすぐで韓国に来て2年になる。
10ヶ月ほどは、大学で韓国語を学び、この1年は江南で
日本語教会を始めて、あっという間に過ぎてしまった。


一から教会を始めることを「開拓伝道」という。
文字通り、何もないところから始めるからだ。


以前ブラジルにいた頃、日系人たちの入植地に行き、
入植当時の話を詳しく聞いたことがある。


家族で、ジャングルの土地を切り開き、木を切り倒し、根を掘り返し、
少しづつ開拓していったそうだ。家も、隙間だらけの掘っ立て小屋だ。
日本での生活が懐かしくなることが二度や三度ではなかったという。


マラリヤなどの病気や事故などで、どんどん家族が死んでいった辛い時期もあった。
入植地の資料を見ると、7人家族で4,5人が病気で亡くなっていった家族が
少なくなかった。そうやって「開拓」していったのだ。
そうやって、多くの収穫を得るようになったのだ。


自分は、そこまで苦労はしていないが、
海外での「開拓」の大変さは感じるものがある。


正直、逃げたいと思うことがよくある。
現実逃避なんか日常茶飯事だ。


でも、なんとかとどまっているのは、
自分の意志ではなく、導かれてここに来たという思いがあるからだ。
それに、自分がなすべき働きがここにはあると知っているからだ。


米国の黒人解放運動の指導者で、ノーベル平和賞を受賞した、
キング牧師は次のように言った。


「全ての人は一身をなげうってもよい何かをもつべきである。
その何かの為に死ねない人間は生きるに値しない」。


彼は、その言葉通り、自らの使命のために殉教の死を遂げた。
そのために生き、そのために死ぬことができるものを彼は持っていた。
自分も、それをしっかりと持っていたいと思う。


でも、韓国に来たばかりの頃、私と妻は不安の中にいた。
「何故、自分たちは韓国に来たんだろうか。この選択は間違ってはいなかったか」
毎日、そんな風に考えていた。
その頃、妻と二人で読んだ聖書の中で、心に残った言葉がある。


『主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを
真昼の光のように輝かせてくださる。』詩篇37編3-6節


これはダビデ王の詩である。
特に『この地に住み着き、信仰を糧とせよ』
という言葉が、自分たちに語りかけられている言葉だと思い、
とても慰められ、励まされた。


今でも、落ち込む時、辛い時は、この言葉に帰ってくる。
この言葉を、いつも心に覚えておきたいと思う。