おがちょのつぶやき日記

トロント日系セブンスデーアドベンチスト教会牧師のブログです。

2007年04月

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~怒りを静める方法~

今日は、感情のコントロール、特に「怒りを静める方法」をみなさんとご一緒に考えて行きたいと思います。私たちの多くは、怒って人間関係をダメにした経験を持っていることでしょう。怒りによって友人関係を壊したり、夫婦関係が破綻したり、家庭が崩壊したり、あるいは恥かしい思いをしたことがあるでしょう。


【怒ることは悪くない!】
この時間の中で出来る限り、怒りを静めるコツを見て行きたいと思っています。
まず大事なのは、「怒ることは悪くない」ということです。よくついカッとなってしまう自分が嫌いだという人がいますが、怒りは私たちが持っている通常で、正常な感情です。
感情には決して良し悪しはありません。怒りを感じるのは、「何かが間違っている」というサインなのです。ですから、怒りをムリに抑えることはせず、相手に上手に伝える事が大事になってきます。


【何が悪いのか?】
では、怒りの何が問題なのでしょうか?怒りという事について何か問題はあるのでしょうか?
それについては、主に3つあると思われます。
最初は、「自己中心の怒り」です。自分が面白くない、つまらない、自分勝手な意見のために怒りだすというのはNGです。次に、怒りと共に、暴力・暴言・無視を行動に移すことはNGです。最後は、怒りを当日中に処理しないで、次の日以降に持ち越すことです。これらのものは、簡単に人間関係を壊し、相手の心に大きな傷を残す事になるからです。また自分の心が醜くなるのは言うまでもありません。


【怒りが爆発すると・・・】
次に、怒りが爆発すると、どんな問題が起こるかを見て行きたいと思います。まず第1に、人間関係が壊滅的ダメージを受けます。人間関係をつくるのには、多くの時間と労力とお金がかかります。これらのものを怒りは一瞬にして破壊してしまい、関係が回復不可能にまで追い込まれることがあるのです。

第2に、相手を傷つけることにより、憎しみや恨みが生まれます。この感情はなかなか消えません。また、その感情により、相手の人を苦しめることになります。

第3に、後悔するでしょう。そして自分が嫌いになり、心の傷が生まれます。後悔することにより、自信がなくなります。そして自己嫌悪の中、セルフイメージも低下していきます。そして怒りの結果として、心の傷ができます。心の傷ゆえに様々な人間関係がぎこちなくなってしまうのです。そして、病気になる可能性も大きくなると言われています。私たちの体は、血液や皮膚、髪の毛や細胞を次から次へと製造している、一大化学工場です。私たちが怒ると、体内で毒性物質が製造され、病気の原因になってしまうのです。


【怒りを静めるステップ】
ここまで見てきたように、怒りを爆発させて、いいことは何もありません。
もし、皆さんが怒りを感じて抑えられそうになくなったら、怒りを静める次のステップを覚えてください。
1番目は、よく考え、冷静になるということです。怒ったら、心の中で10数えてみてください。それでもダメそうなら
20、あるいは100まで数えてください。とにかく冷静になることを覚えましょう。

2番目に、相手に自分の怒りを伝えるということが重要になってきます。「怒りを我慢します」という方がおられますが、ストレスがたまるだけで、後で必ずもっと悪い影響が出ますので、我慢することはオススメできません。大事な事は、「アイ(私)・メッセージ」で伝えることです。これがとても大切です。
これは、自分がどう感じているか、どうしてもらえたら嬉しいか、具体的に希望を話すということです。
「相手」を主語にしないで、主語は「自分」にして下さい。相手を責めず、自分は「悲しかった」とか、「つらかった」、「私は、こんな風に感じた」というように、自分の感じ方、希望を具体的に落ち着いて話します。このように冷静に話したら、相手も売り言葉に買い言葉というような悪循環には陥りません。

さて、最後のステップです。これが一番難しいかもしれません。あなたは怒ったら、最後には自分の中で相手を赦さなければなりません。もし最初に相手の非がある場合は、その赦しを伝える必要があります。そして、自分にも悪いところがないか考えます。もしあれば謝りましょう。

よく「謝ることは私のプライドが許さない」という言葉があります。しかし、その言葉を聞くたびに、「たいしたことのないプライドだ」と思ってしまうのです。自分の立場を守り、プライドが傷つかないようにするよりも、相手を赦し、謝る方がよほど勇気が必要であるし、人格的に優れている事は明らかです。私は「謝らないのは私のプライドが許さない」とした方がいいと思っています。その方がよほど潔いし、尊敬を得られるでしょう。聖書には多くの怒りについての言葉が記されています。いくつか見て行きたいと思います。

『怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。』箴言16:32

『愚かな者は怒りをことごとく表わし、知恵ある者は静かにこれをおさえる。』箴言29:11


【唯一の解決方法】
しかし、以上のことを試みても、どうしても怒りが収まらない場合があります。実は、人格から受けた傷は、相手の人格を傷つけるまで癒されないからです。それだから、私たちは口喧嘩をすると、その仕返しに無視して相手を傷つけたり、中傷したり、悪口という姑息で卑怯な手段を用いてまで相手を傷つけようとするのです。本当に人間は悲しくて哀れだと思わずにはいられません。

では、多くの人が信頼する心理学ではどのような解決方法があるのでしょうか。勿論、人を傷つけるのは論外ですから、心理学では他のものに怒りをぶつけるという手段がとられます。何かの物に怒りをぶつけたり、あるいは様々な方法で怒りを発散させるというものです。これはある程度の効果があります。しかし、先ほどの話のように人格から受けた傷は人格に返さなければ傷は残り、心は癒されません。

そこで、今日は唯一の解決方法を皆さんにお知らせしたいと思います。
それは、どうしても怒りが収まらない時は、イエス様に怒りをぶつけるという方法です。聖書にはこの方法が唯一の心に出来た傷を癒す方法だと記されているからです。
聖書にはこう記されています。

『彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』イザヤ53:5

私たちが心に傷を受け、どうしても加害者にその傷を、同じ痛みを味あわせてやりたいと思ったら、それをイエス様にぶつけてください。その傷を彼が負う時、あなたの心は癒されていくのです。
よく分からない方もいるでしょう。このことは、これからの礼拝で順番に話して行きたいと思っています。
ただこのことだけは覚えてください。イエス・キリストは、十字架上であなたが背負ってきた傷、痛み、悲しみ、苦しみ、涙を全部背負ってくださったのです。あなたがそれを受け入れるなら、人にはとうてい理解できない心の平安がやってくるでしょう。私はそうして心の傷を癒してもらってきたのです。

最後に少しだけ、みなさんが教会へ通い続けることのメリットをお知らせしましょう。
アメリカのデューク大学医療センター「レッドフォード・B・ウイリアム博士」は、こんな研究結果の発表をしました。

 ・他人に対して敵意や怒りを抱く人は、そうでない人よりも5倍以上心臓病で亡くなる可能性がある。
 ・教会によく通う人ほど血圧を低く保てる。

みなさん、怒りを静めること、そして教会に通うメリットを理解してもらえたでしょうか?

ここにいる恋人、夫婦のためのワンポイントレッスンをして終わりたいと思います。特に男性に対してです!次の言葉を言うように練習しましょう。

①それをいうべきではなかった。②すまない。③どうか許して欲しい。④君を愛している

それでは皆さん、よい1日をお過ごし下さい。

この3月17日からソウル市江南区庁(カンナムグチョン)の近くで、日本語教会を始めました。
「SDA江南日本語教会」 http://blogs.yahoo.co.jp/sdagaja

教会は、地下鉄江南区庁駅から歩いて5分くらいですが、住んでる所は、韓国で一番地価が高い「アックジョン」の近くで、目と鼻の先に「CINE CITY」があります。映画をすぐに見られるのはいいのでしょうが、去年一年はソウルの端に住んでいて自然が豊かだったため、何か雑然としたこの場所に馴染むのは少々時間がかかるかも。
・・・なんて心配していたけれど、1ヶ月たったら何ごとにつけ便利なことに気づき、子供も幼稚園に行き始めたこともあって「なんか、いいかも~」と夫婦そろってノンキに話してます。住めば都ということでしょうか・・・。でも安月給の牧師家族にとっては、物価が高い場所という点では大変な所です。

新しく教会が始まり、「これからだ!」と気合は入るけど、妻と子供達が7月から3ヶ月間沖縄へ出産帰国することになり、私生活面で少し心配です。まぁ、スカイプがあるから毎日好きなだけ家族の顔は見れるのだけど・・・

教会の礼拝には、平均10~15名前後の韓国の若者達がやってきます。ほとんどはSDA外国語学院で日本語を学んでいる方々ですが、時々日本の方や、日本語に興味のある韓国の方々もやってこられます。礼拝場所は、平日には外国語学院の教室として使われているところで、礼拝には入って35名が限界という狭い場所です。
少し人が増えてきたら、真剣に場所を考えなければならないと思っています。

礼拝説教は、ここや、教会のブログにもあるように、初心者にも分かり易くしています。みんなが必要としているトピックの中から説き明かしていければと思っています。

昨日、新しいブログを立ち上げました。
題して「SDA江南日本語教会」http://blogs.yahoo.co.jp/sdagajaです。

3月からソウル市カンナムにある「SDA三育江南外国語学院」において
日本語礼拝を始めましたので、新しい教会用ブログを作りました。

今までは自分の個人用ブログだったけれど、これからは教会ブログなので
少し神経つかうかもしれない・・・。と一瞬思ったけれど、やっぱ気楽に行きます♪

韓国在住の方、ブログだけじゃなくて、教会へもどうぞ来てくださいね。
今、教会へ来られているのは日本語を勉強している韓国人の青年達がメインです。
でも、礼拝では日本語から韓国語に通訳があるので、日本人の方で韓国語を学びたい方には
最適だと思います。ソウルに住んでいる日本人の方、待ってます!

皆さん、そちらのブログを覗いてくださいね。
内容も今は同じですが、少しづつ増やしていきます。

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江南(カンナム)に引越してきて、はや1ヶ月、ようやく4歳の娘と2歳の息子が幼稚園に入った。
当初は、長女だけ日本人学校幼稚部へ入れようと思っていた。長男はまだ日本人学校へ入園できる
年齢ではないので、近くの韓国人幼稚園を探していた。しかし、これが困難を極めたのである。
比較的安い区立の幼稚園はことごとく定員いっぱいなのだ。韓国の友人たちに聞いてみたところ、
「生まれてからすぐに予約しないと無理ですよ・・・」と言われてしまった。
案の定、家から近い他の幼稚園は定員いっぱいであった。

江南地区の幼稚園入園は、サバイバルの様相を呈してる。
こちらに引越す時、知り合いの韓国ママ達がため息をつきながら、
「江南は教育レベルが高いから羨ましいわ。でも教育費は高いけれどね・・・」と
つぶやいていたのを思い出した。インターネットを駆使して、幼稚園を捜すと、近くに
いくつかの幼稚園が見つかった。

大きな大学付属の幼稚園や有名私立幼稚園などは去年の年末頃には、
入園申し込みを締め切っているので望むべくもないが、
内容のいい小さな幼稚園は、けっこうあったのだ。
しかし、月謝が高い!!

見学に行くと、親のみならず、体験入園で子供達が一目で気に入る幼稚園が見つかった。
しかも、色んな幼稚園の中でも、昼ごはんがピカ一だったのだ。おかずも4品ほどあるのだ。
日本では普通かもしれないが、韓国になると事情が違う。どこぞの幼稚園なぞは、
ご飯とみそ汁、キムチがメインで、果物がつくかつかないかだった。(田舎はだいたいそんな感じ)
それに比べれば雲泥の差だ。

教育内容や、家庭的な雰囲気、先生方の印象がよかったので、考えた結果、
そこへ長男を入れることになった。しかし、問題は長女であった。
日本人学校幼稚園に入れるつもりであったが、補助がないことと、別々の幼稚園に
入れた場合、学校行事が重なると大変だということで、せっかく全てを準備して日本人学校へ
と思っていたが、お祈りして、長男が行く幼稚園へ一緒に行かせることになった。

最近まで、長女はどうしても日本語の幼稚園がいいと言っていた。
去年いた幼稚園では、韓国語を理解していたが、10ヶ月間、一言も話さなかったからである。
しかし、新しい幼稚園を見学し、弟も一緒で内容も楽しいし、先生方も優しい、
そして、ごはんも美味しい!ということで、コロリと方向転換をしたのだ。
一言、「韓国語でも大丈夫だから、こっちの方がいい!」

日本人学校幼稚部は日本語で教育してくれるし、内容はよいであろうが、
他の私立に比べると、少し考えてしまうのだ。
朝から晩まで日本語だと、韓国語と文化への適応が遅れるということ、
また韓国語を学ぶために、幼稚園の後に塾へ通わせなければと思っていたからだ。

でも、新しく決めた学校では、多くの学習内容が含まれているので、
当面、塾へ通わせなくてもいいかなぁという様子で、
一石二鳥という感じだ。(お金も助かるし・・)

日本にいる両親に幼稚園の話をし、月謝がいくらかを話したら驚いていた。
日本ではありえない金額だというのだ。だいたい江南はこんなもんだと思っていたが、
こちらに来て、どうやら感覚がマヒしてきたようだ。

そんなこんなで、ようやく長い春休みを終えて、
2人そろって幼稚園に入園したのだった。(ホッ・・)

『心の傷がいやされるには?』

あなたの心は今、幸せで、誰とでも、仲良く楽しく、明るく生きているでしょうか? 
おそらく何もかもうまく行っているという人はいないと思います。色んな思いがあり、
心の中にどうしても埋められない寂しさ、悲しさ、そして心が重くなることはあることでしょう。

それらの理由のほとんどが「心の傷」から来ると言われています。
心が怪我をして血を流し、痛んでいるのです。

今日、私がみなさんにお話ししたいことは、この3つが私たちの心にあるということです。

「心の傷」、「悪習慣」、「とらわれ」です。

「心の傷」は、親や友人の言葉、または恋人や、会社の上司や同僚からの言葉、あるいは、
言葉だけじゃなくて、暴力、いまわしい思い出もあるかもしれません。

「悪習慣」とは、そんな心の傷を持つと始まる習慣です。心の傷を持った人は、「愛されたい」、
「受け入れられたい」、「認められたい」と強く願います。それがうまくいかないと、
他のものでその心の傷をいやそうとします。食べ物をたくさん食べたり、お酒をたくさん飲んだり、
タバコ、麻薬などに手を出す人もいます。あるいは、愛さている実感が欲しいために、
異性にそれを求める人がいます。いろいろあげればきりがありません。

韓国では、PCバンでゲームにはまる人がたくさんいます。それは現実の社会では思い通りに行かず、
ストレスがあるからだと思います。私自身、現実社会ではうまくいかなくても、ゲームの中では、
勇者であり、主人公であることから、一時期ロールプレイングゲームや、シュミレーションゲームに
はまったことがあります。ゲームを含めた中毒症にかかる人は、心に傷があることが大きな原因だと
思われます。その満たされない気持ちを、なんとかして満たそうと、ゲームの世界に
ひたってしまうのです。

「とらわれ」とは、痛みの原因になります。「心の傷」によって、人に対する恐れ、自信のなさ、
コンプレックスなどがそれです。「どうせ自分はダメだ」とか、「自分は他の人から愛されていない」
とか、「自分は頑固だ」、色んなイメージが心にできてしまうのです。
そのようなマイナスイメージがあると、本当の自分はそうじゃなくても自分に暗示をかけてしいます。「自分はどうせそんな人間だ」と思い込むようになってしまうのです。

このような「心の傷」、「悪習慣」、「とらわれ」に、みなさん思い当たりますか?
結論から言うと、この「心の傷」を治し、悪習慣から離れ、とらわれを追い出すなら、
みなさんの心は本当に楽になります。そして性格も変わります。生き方も変わります。
人生を前向きに明るく、そして肯定的に生きられるようになります。また友達も増えるでしょう。
周りの人から好かれる存在になるでしょう。

「えっ!本当?マジで?」と疑う人もいるでしょう。でも、本当にそうなのです。
みなさんの人生は変わって行きます。

皆さん、もし手をケガしたらどうしますか? 手のひらに、木のトゲが入ったらどうしますか?
そのまま放っておきますか? 必ず、トゲを抜き、消毒し、絆創膏をはるでしょう。そうしなければ、
いつまでたってもケガは治りません。かえって膿がでて、その周りもひどい状態になるからです。

では、心がケガをしたらどうするでしょうか? 皆さんはどうしますか? 
おそらくみなさんは、色んな方法を試したでしょう。でも、それで心のケガや傷がなおったでしょうか?
おそらく治らなかったでしょう。
身体のケガは、体が傷つきますが、心の傷は、あなたの「感情」が傷ついているからです。
ですから、この傷ついた感情がいやされなければなりません。
どうしたら感情がいやされるか?
はい、一番大事なことですよ。他のことを忘れてもこれだけは忘れないで下さい。

2つあります。1つ目は「あなたの傷ついた感情、膿を出すこと」です。
これは、ある人にとってはとても難しいことかもしれません。でも、これが出せないと、
ことあるごとに、先ほどの「心の傷」の症状が出てきて、あなたの生活は苦しいものになるでしょう。

2つ目は、あなたのことをどんなことがあっても受け止めてくれる人が必要です。
そしてここが大事です。「あなたを見捨てないで愛してくれる人」が必要なのです。
この2つがないと、心の傷は治ることが難しいと言われています。

私には、尊敬すべき父、優しい母がいます。
しかし、私はいまだに両親にほめられた経験がありません。
(もしかすると私の記憶がないだけかもしれませんが・・・)。
小さい頃私は、親にほめられようと勉強を頑張った時期がありました。
また、スポーツも集中して努力した時がありました。しかし、どんな成績をとっても、
認めてもらえず、ほめてもらえなかったのです。
その結果、自分はどうでもいい存在で、愛されていない存在なのだと思うようになっていきました。

幼稚園から小学生の初めにかけて、明るくひょうきんだった自分は、だんだん自信がなくなり.
人前に出るのが怖くなりました。小学生の頃、吃音が始まりました。話すことが怖くなり、
電話にも出ることができなくなりました。また学校では、クラス中、先生に質問されるのが怖くて、
学校をさぼることも増えてきました。そのせいか、中学生くらいから父親を避け、
だんだん父親を嫌うようになってしまったのでした。そして、高校生になる頃には、
生活が荒れてきて、学校にも行かなくなり、すさんだ生活を始めていきました。

そのうち、私はあることで警察に捕まってしまいました。
家に帰ると、父親は当然のことながら激怒していました。
でも、私は全然悪いと思っていませんでした。かえって「ざまあみろ」と思っていたのです。
今では勿論、父も母も自分のことをいつも心配し、愛してくれていることを知っていますが、
その時は、どんなことをしても認めてもらえないという「心の傷」と「とらわれ」によって
自暴自棄になっていたのです。

数年して、クリスチャンになり、私は求めていた愛を見つけました。決して見捨てない、
自分の命をかけて私を愛してくれるイエス様に出会ったのです。
そうして私の心はなぐさめられていきました。でも、まだ「心の傷」はありました。
父親に対して心を開くことができなかったのです。

しかし数年前、あるクリスチャンのグループの交わりの中で、
心の底に押し込めた感情を出すことができました。十数年も前の心の思いが湧き上がってきたのです。

「父さん、もっと愛して欲しかった。一度でいいからほめて欲しかった。
父さん、ぜんぜん嫌いじゃないよ、大好きだよ!」それは、少年時代の心の叫びでした。

私は長い時間、泣きながら祈っていました。というより神様に泣き叫んでいました。
そうして傷ついた心の感情をイエス様の前で、そして信頼できる友人の前で
出し切ったとき、心が楽になり、ようやく父親に対するわだかまりが消えたのでした。

『私には、そんなに「心の傷」はないよ』と思う人がいるでしょう。
その人は、これを見てください。これは心の傷を持っている人にある症状です。
これに1つでも当てはまるならば、心に傷を持っているということです。

   ~ 心の傷から来る症状 ~
   ● 孤独感、寂しい
   ●  自分を愛せない
   ● 人を愛せない
   ● 劣等感が強い
   ● 自信がない
   ● 自分をゆるせない
   ● どうしても人を喜ばすことに意識がいく
   ● 心配性
   ● 怒りっぽい、復讐心
   ● 嫉妬、憎しみ
   ● 無関心
         (「ココロの奥が楽になる本」石原良人著 JCMN出版より)

みなさんは、どれくらい当てはまったでしょうか?この「心の傷」は、なぜできるのでしょうか?
「愛されたいのに、愛されない」、「認めて欲しいのに、認めてくれない」、
「受け入れて欲しいのに、受け入れてくれない」。
「心の傷」とは、愛のない言葉、行動からくる、といわれています。
それは、愛を充分に受けられないことに原因があるのです。実際に愛情はあっても、
伝わらなければ意味がありません。愛の不足のために人は傷ついていくのです。

多くの人は、父親、母親の言葉や態度で傷つきます。
本当は、無条件に愛され、受け入れられるはずなのに、勉強ができたり、
何か人より上手くできた時だけ褒められる場合が多いのです。
もし失敗したり、成績が下がったら、怒られます。その時に私たちの多くは、
愛されるために頑張るのです。認められたくて頑張るのです。
「無条件の愛」であるはずが、「条件付の愛」になっているからです。

他の人は、兄弟、友人、恋人、妻や、夫、会社の同僚、上司、
様々な人からの心無い言葉によって傷つくでしょう。
権威主義の人がそばにいる場合、そのために、いつも恐怖の中にいて、
人が怖くなることもあります。

みなさんは、心に傷を負っている事が分かったらすぐに治療しなければなりません。
もしほっておくとどうなるでしょうか? ひどい時は精神的な病気になります。
また、ゲームやお酒、ギャンブル、男女関係、閉じこもり、様々な症状が出てくるでしょう。

聖書の言葉、イザヤ書57章18節を見てみましょう。
『わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。わたしは彼を導き、
彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう』

神様は、みなさんをいやそうとされています。みなさんは、自分を新しく変えたいと思いませんか?
もう一度、新しくやり直したいと思いませんか?もしそれを願うならば、必ずできます。

もう一度いいますが、私たちは「無条件の愛」で愛される必要があるのです。
無条件の愛は、人間関係では不可能であることは、みなさんがいま考えても理解できると思います。
無条件で愛されるということは、人間の間では一時的にはあっても、ずっとは続かないからです。
唯一の無条件の愛は、神様から受けるしかないのです。

5月2週目、金曜日の礼拝の後、フリートークの時間に『ココらくカフェ(仮名)』を始める計画です。
その場で、心にたまっている思い、不満、悲しみ、心の傷などを分かち合うという時間です。
なにも難しいことはありません。ただ自分の心に正直になれるときがあるだけです。
日本語があまりできなくてもかまいません。できなかったら韓国語でもいいです。
お茶とお菓子を食べながら、気楽に始めたいと思います。

この1週間で、私は7人の人の涙をみました。みなさん、辛いこと、苦しいこと、悩み、
それらの心の傷、悪習慣、とらわれから、逃げたいと思う人が7人、私の前でそのことを話し、
涙を流しました。みなさんにもあるはずです。もし、心が楽になりたいと思う人は、
5月の金曜夜のベスパーから来てみてください。

私は日本にいた時に、中学生、高校生、大学生、社会人の方々とこれに似たグループを持ってきました。みんな心の傷を持っています。

アメリカでは2000万人の人が何らかの形でこのグループに入っているといわれています。
また50万のグループがあるといわれています。しかしこの韓国ではそれらはほとんどありません。
いろんな理由はあるでしょう。

私たちの社会では、誰にも話せないのです。「競争社会」という自分さえよければいいという
社会では、心の傷や、弱さは出せません。

ただ教会だけが、それをできる場所だと私は思っています。神様は今、みなさんの傷を治し、
もとの状態に回復させようと待っておられます。そして神様は、私たちの全ての罪を赦し、
悩みを理解し、重荷

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