おがちょのつぶやき日記

トロント日系セブンスデーアドベンチスト教会牧師のブログです。

2006年06月

「あなたの心は平和ですか?」

いろんな人間関係がある。
夫婦関係、親子関係、兄弟関係、恋人関係、友人関係、職場関係、
どの関係でもストレスがある。
それぞれの関係で、相手が謙遜であって、正しいことをしてくれればと思う。
勿論、自分が謙遜であるかどうかは関係ない。「周りが悪い」そう思っているのだから・・・。

クリスチャンのアンドリュー・マーレーという人は、
「謙遜」という本を書いている。こんな一文がある。

『謙遜は、心の完全な安息である。そこには、いささかの悩みもない。
いらだつことも、腹を立てることも、興奮することも、悲嘆にくれたり、
あるいは失望したりすることも全くない。何ものも当てにしない。
私のためになされるものは、何でも疑わない。
私に逆らってなされるものは、一切相手にしない。
誰からも賞賛されなくとも、のみならず非難され、軽蔑されても平静である。
主の内に恵まれた部屋を持ち、そこに入り、戸を閉じて、ひそかに父にひざまずくことができる。
周囲はいかに騒がしくとも、静寂な深い海の中のような平和がある。』

もし、ここにある「謙遜」を自分が身に付けられたら?と思わずにはいられない。
そうすれば、夫婦関係も、親子関係も、およそほとんどの対人関係において、
そんなに悩まずにすむだろうに・・・と。相手ではなく、自分である。
相手は変えられない。まず無理だ。とすれば、変わるのは自分しかない。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから(別訳:「謙遜だから」)、
あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。』マタイ11:29

これは、イエス・キリストの言葉である。
(注:「くびき」= 昔、牛や馬の口に鋤や荷車を付ける時に使ったロープ。
これが合わないと牛や馬は口が痛くてうまく仕事ができない。)

もし、人間関係がにっちもさっちも行かなくなったら、この言葉を思いだせたらいいと思う。
そして、もしあなたが彼のもとへ行ってみるなら、あなたはきっと、
今までに経験しなかったほどに心が楽になれると思う。

「チャコールは万能薬!」

宣教師訓練の講習の中で「必ず買いなさい!」と年を押されるのが「チャコール」。
「チャコール」を知らない方のために説明しますと、一言「炭」です。

この炭の粉である「チャコール」は、いろいろ使い道があるわけです。
どこの温泉にも置いてある炭石鹸は有名ですが、今日はチャコールをご存じない方のために
簡単な使用方法と効能をご紹介したいと思います。(ほとんどの人が知っているかも・・・)

チャコールは、中毒時の時の簡単な解毒剤、感染や代謝障害の浄化剤として知られています。
チャコールの粒子には多くの割れ目ゆえに表面積が大きくて、様々な物質、ガス、異物、老廃物、その他の化学物質や薬物などを吸着し、体の浄化器官を強力に助けます。そして全く害がないんですね。

驚異的なチャコールの吸着力についてこんな話があります。
1831年、15gのストリキニーネ(致死的な服用量の10倍)と同量のチャコール - およそ大さじ3杯 - を飲み込んで死を免れるというチャコールの効力のデモンストレーションを、薬剤師 P.F.トゥエリーが、フランス医学アカデミーを前にして行いました。

チャコールは、昔から世界中で治療薬として用いられてきました。
ある報告では、3個以上の毒キノコ(3個が一般に致死量)を食べた人が、16時間過ぎてから手当てを受けました。1人の女性は他の患者たちとは別に、交換輸血と腹膜の透析による手当を受けました。彼女は8日間肝性の昏睡状態になって、帰宅できるまでに3カ月入院しました。しかし、同じ量を食べた彼女の夫は、チャコールを使って血液の濾過をする手当を受け、彼は6日後に元気に退院したのです。

チャコールは、水とタンパク質に溶解したものから有毒物質と結合します。タマゴテングタケを食べてから24時間後でさえもチャコールは効果的に毒素を取り除くことができたそうです。

さて、ここまでは飲み薬としてのチャコールですが、これはシップに塗っても使えます。外傷や打ち身、捻挫にもよくききます。

また、のどの痛みにもよいようです。飲み方が難しいのですが、粉をのどにふりかけ(咳き込まないように!)水で飲みます。他に目に塗ることも教わりましたが(!)、さすがに皆さんはやられないだろうと言うことで書かないことにします。

チャコールはまさに万能です。疑われる方はインターネットで調べて見て下さいね~(笑)
ちなみに我が家の冷蔵庫には、たくさん保存してあります♪

「傷にトウガラシ!?」

私が受けた宣教師訓練の中で「未開地での医療」という項目がありました。これは、通常の医療設備がないアフリカや南米の奥地、アジアの奥地などで働く時に必要な知識となります。
韓国は当然のことながら発展途上国ではないので、ほとんどは市販の医薬品ないし、病院に行けば事が足りるわけです。しかし、多くの人々に忘れられた自然療法が、実は非常に体によいことが分かっているのです。簡単にご紹介します。

◎トウガラシ
漢方薬や、民間療法でもよく使われる材料ですが、実は傷口にもよろしいということはあまり知られていません。勿論、混ぜ物なしの純粋な粉のトウガラシがベストです。

知人のアメリカ人宣教師が、ドイツ製の鋭利なナイフで左人差し指の爪を含めた上部5mmくらいを切り落してしまいました。彼はすぐにその取れた指先をくっつけて、その上にトウガラシの粉をふりかけてガーゼと包帯を巻いてプレッシャーをかけました。しばらくして血が止まり、手が熱くなってきた頃、痛みがなくなったというのです。彼は翌日、遠いところにある病院に行き、傷口を見せたところ「君が何をしたかわからないが、手術して縫ってもこの場合は傷口がぐちゃぐちゃになり、うまくつかないんだ。幸い傷口はくっついている。そのままにしておきなさい。」と消毒だけされて帰ったそうです。

トウガラシには血行をよくする働きがあり、傷口付近の血行がよくなりそれにより、傷口がより早く閉じたということです。また痛み止めの作用もあり、神経間のシナプスに働きかけて痛みを麻痺させる効果があるそうです。ですから、決して痛みが増すということはありません。

実は数日前、自分の手で検証することができました(笑)。朝、妻と話しながら食器を片付けていたところ、台所用品(日本によくあるもので真ん中に刃がついている四角いやつ、キュウリとか人参を薄くスライスする道具)で左薬指上部を深く切ってしまいました。
手首から血が滴り落ちるほど出血していたのですが、「それっ!」と、トウガラシをふりかけティッシュで上からプレッシャーをかけました。すると血はすぐに止まり、先ほどまで半分とれかかっていた指の先っぽは、元の場所に収まっていました。そして、数分で左手が熱くなり、痛みが消えていったのでした。
これで大丈夫と思っていた昨日の登山で、バランスを失い岩に手をついた際、傷口が開いてしまいました(あぁ~、血が・・・)。流れる血を見て、登山中の韓国の方々が「アイゴ~!」と口々に言ってました。
皆さんはトウガラシを使っても、その後病院へ必ず行くことをオススメします♪

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よく聞かれる質問で、「なぜ牧師になったのですか?」という質問があります。その度にどう答えるのか考えるのですが、今日は率直になぜ私が牧師になったのかをお話ししたいと思います。

私が23歳の頃、ブラジルの北にあるアマゾン川の河口の町、ベレン(ベツレヘムという意味)という所に学生宣教師として赴任しました。確か飛行機代が片道16万円で、乗り換え4回、2日間かけて行った覚えがあります。丁度日本の反対側になります。

ベレンのあたりは、赤道に近く、熱帯雨林気候で、とても暑い場所でした。私はそこにある日本人教会に住み込んで、田舎からベレンの町に勉強しに来ている日系人師弟(中・高校生)に日本語を教え、彼らが住む寮で(教会内にあり)働いていました。何も分からず働いていたので生徒との衝突もあり、色々大変な思いもしました。でも、そにいる間にクリスチャンとして年の浅かった私は、教会にあった多くの日本語のキリスト教関係の書籍を読み漁り、次第に聖書の知識を深めていきました。

しかし、そのような教会内での生活だけでなく、ブラジルではファベイラ(貧民街)と呼ばれる場所の悲惨さを目の当たりにし、自分の力の無さを嘆き、何をしにブラジルに来たのかと自問自答する毎日だったように思います。

ある日、教会にある寮の食堂から出るゴミを、表のゴミ箱に出そうとして、生ゴミの袋を2つ持って教会の門を開け、その金属で出来たカゴにゴミを入れました。そのまま帰ろうとしたその時、道の反対側から3人の3,4歳くらいの子供達が走ってきました。2人は男の子で半ズボンだけしか身に着けておらず、小さな汚いバックを肩に掛けていました。もう1人は女の子で薄汚れたTシャツとスカートだけ着ており、この子も裸足でした。3人は「わっー!」と言って近寄ってきて、汚い肩がけ鞄の中からボロボロの弁当箱を出し、私が今置いたばかりの生ゴミの袋をおもむろに開けだし、汚い残飯を弁当箱に詰め込みだしたのでした。その時、私が一番ショックだったのは、彼らのうれしそうな、本当にうれしそうな顔でした。彼らが弁当箱を残飯で満たし走り去った後、私はしばらくその場所から動けませんでした。

田舎を現地の牧師と回った時もショックなことがありました。そこは日本人移住者達が農場を切り開き、現地の人たちが多く雇われているという田舎の町でした。その田舎のメインストリート(もちろん土)を歩いていると、2,3人のきれいな服を着た小学校3,4年生くらいの現地の女の子達が労働者風の男性と話しているのを見ました。田舎では見かけないきれいな服装で、一緒にいた牧師に「彼らの家は裕福なのですか?」と聞くと、一言「あの子達は売春婦ですよ」と普通に答えが帰ってきました・・・。

もっとショックな話しが、多くあるのですがここでは書くことが出来ないのでこの辺にしておきます。
これが私が牧師になったこととどう関係があるのか?

それは、ブラジルに来て1年たったある日、私は来年の予定を考え祈っていました。自分ではカナダに戻って経済の勉強をするつもりでした。しかし同時にブラジルでの貧しい子供達のことを思い、その子たちをどうか助けて欲しいと神様に祈っていました。

その時、不意に声が聞こえました。
耳元で聞こえたのか、頭の中に響いたのか覚えていません。
しかし、声があったのです。

「あなたが福音を宣べつたえる者となって彼らを助けなさい」
私は、それが即、牧師になることだと悟って「嫌です」と答えました。

するともう一度声があり、同じ言葉が繰り返されました。
「あなたが福音を宣べつたえる者となって彼らを助けなさい」と。
私は「他に優秀な人がたくさんいるじゃないですか、彼らを召してください!」

私は小学校のころから「どもり」始めました。「吃音」です。人前で話が出来ず、
電話に出ることも恐れていました。そして学校にもあまり行かなくなってしまいました。
小学校では全校朝礼というものがあります。その中で時々ゲームなんかをします。
例えば伝言ゲームです。一番前から伝言を伝え、一番後ろの生徒が全校生徒の前で
伝えられた言葉を話すといものです。私は背が高く一番後ろでした。ですから
必ず前に出されました。
しかし、どもって言葉が出ず、やっとの思いで「忘れました」と言うのが精一杯でした。
そんなどもりを抱えて20歳前半まで、自分に自信を持てず暮らしていました。
ですからそんな自分が人前で話すことがメインである牧師になんてなれるわけないと
思っていたのです。

しかし、声がもう一度ありました。
「あなたが行って、福音を伝えなさい」
私は、もはやその言葉に抵抗することは出来ませんでした。
泣き崩れながら、「はい、わかりました。私が牧師になって福音を伝えます。」
と神様に答えたのでした。

その時の決心が今の自分を形作ってきました。
神が命令されたのですから、私はただ従うだけでした。
日本に帰って神学校に行く時も、バイト代だけでは到底足りない学費が、
不思議な方法で全て返済されていくのを目の当たりにしてきました。

学校に入る前、私は無一文でしたから、初年度の費用のうち80万円をどうしも
工面できずにいました。「今年は無理だから来年行こう!」と考えていたところ、
東京のバイト先にカナダから国際電話がありました。
カナダの州立大学で教えておられた方で、ブラジルから日本に戻る前に、
カナダのバンクーバーの教会で知り合った方でした。

その方からの電話で、正直「なんだろう?」と私は思っていました。
それは、半年前からその方と連絡を取っていなかったからでした。
その方はこちらのバイト先を見つけ、バイトが終わる夜7時まで待って
電話を掛けてこられたのでした。
カナダのバンクーバーは夜2時だったと思います。

開口一番、その方は「昨夜、家内と礼拝をして祈っていましたら、神様の声が聞こえました。」
というのです。「はぁ~?」と思っていると、その方はこう続けました。
「日本にいる小川君を助けなさいと神様はおっしゃいました。つきましては、牧師になるための
援助をしたいと思います。必要なものを言ってください。」

私は、おそるおそる「初年度の必要経費が80万円不足しています。アルバイトで来年行こうと
思っているんですが・・・」といいました。
すると、「解りました。すぐに銀行へ80万円振り込みましょう。あなたは返す必要はありません。
ただ、神学校を卒業することが条件です・・・。」

他にも5年間の学びの中でお金がなくなり、学生口座が赤字になっている時、誰にもお金が必要と
言っていなかったのですが、匿名で100万円振り込まれていました。別な人からでした。

これらの話は、今まで私が体験してきたうちの、ほんの少しの体験談ですが、
このように神様は、命令に「はい」と答えた弱い私を、力強く今まで導いて下さいました。(終)

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水曜日は、韓国では一斉選挙日で休日でしたが、2,3日前に韓国の友人から登山へ行こうと誘われ、久し振りの登山をすべく家族を置いて北漢山へ行かせてもらいました。

北漢山は、韓国で一番登られている山で、年間500万人ほどの登山客で賑わうそうです。それを聞いて、簡単な山だと高をくくっていた私は、頂上付近で恐ろしい目にあったのでした・・・。

駅から登山道にいく道では、、あまりにも多くの登山客に圧倒され、韓国の登山人気を目の当たりにしたのですが、それは、日本よりも手軽に登山を楽しめる山が多いところにあるのかもしれません。日本では日本アルプスが連なり、早々簡単には登れない山々が数多くありますが、韓国では1000m以上の山がほとんどありません。日帰りで行って帰れる山がソウル近辺には多いようです。

北漢山は、2時間で頂上まで行けるので、わりと楽な格好で登る人も多く、小学生から70過ぎの方々まで老若男女を問わず楽しめる山でした(頂上付近以外は・・)。

しかし!! 私は声を大にして言いたい~! 頂上付近の登る道は、本当に危なかった!(と思う)安全を重視する日本では考えられない道でした。経験豊かな人が行くならともかく、初心者が行って下手をすれば怪我ではすまない場所だったように思います。「よく死人が出ないなぁ」と思っていたら、毎年何件かけが人は出るそうです(当たり前だよ~)。写真にもありますが、こんな急なところを子供や、80近くのご夫妻が上り下りするのはダメだー!と強く思いました。すくなくとも安全表示とか、どのくらいの危険度があるかは登山道入り口に明記すべきだと感じたのでした。

一緒に行った韓国の友人に聞くと、韓国人でも初めてこの山に登った人は、「なんでこんなところに連れてくるんだぁ~!」って怒るそうです。「当然だよ!」と思っていたら、彼曰く、「でも暫くしたら『あの山へ行こう!』ってみんな言いますよ。あははっ(笑)」だって。「やっぱり韓国人は違う・・」と、妙に感心してしまったのでした。

頂上で記念写真を撮りましたが、その左にある安全柵は、去年できたそうです(あ~ぁ、遅い・・・)。ちなみに、頂上付近でご飯を食べましたが、韓国の友人は「危険です」という柵を越えて、30cm横は50m以上の断崖絶壁のところで「マシソヨ~」とキンパブとキムチを食べていました・・・。その横で私は本気で「無事に帰れますように。こんな所で死ぬために韓国へ来たわけじゃありません!」と食前の祈りをして、体はこわばり、腰の辺りがスースーする感じがする中、なぁんも味がわからないキンパブ(普通に食べたらおいしいはず)を機械的に口に運んでいました。左手はしっかり横の岩を掴んでいたのは言うまでもありません・・・。

でも、山頂付近にいるときは「もう登山はごめんだ!」と思っていましたが、帰ったら「また登ってもいいかなぁ~」と考えていました(笑)。私も韓国人になりつつあるのだろうか・・・?などと考えていた高所恐怖症の私でした。

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