おがちょのつぶやき日記

トロント日系セブンスデーアドベンチスト教会牧師のブログです。

2006年05月

イメージ 1


みなさま「おがちょのつぶやき日記」にようこそおいで下さいました。
簡単に自己紹介をいたします。

トロント日系セブンスデー・アドベンチスト教会牧師


福井県で生まれる。
東京育ちの父と、越前海岸育ちの母の間に生まれる。
2歳下に、よくできた弟あり。

地元の小・中・高校を卒業。
東京・三重県で仕事をしながら2年ほど過ごす。

それからカナダに留学する。トロントにある日系人教会に出入りするようになり、
ここでプロテスタントのクリスチャンになる。カナダに4年滞在。

大学在学中、思うところあってブラジルに渡り、宣教師として
2年間働く(アマゾン川河口の町ベレンにある日系人教会)。

ブラジルでの働きの時に、神様から「牧師」としての召しを受ける。
帰国後、6年ほど仕事をしながら、神学校で学ぶ。

牧師になり、東京、静岡、茨城で働く。

うち3年間は、茨城県の北浦湖畔にある、北浦三育中学校・北浦三育キリスト教会へ、
学校チャプレン・教会牧師として赴任する。

祈りのうちに神よりの召命を受ける。祈りの中で助けを求めている韓国の人々の
姿と叫びを聞き、涙が止まらず。同じ日、教会にいた妻も悔い改めと、
どこまでも神に従っていく決心をする。
2007年より、三育外国語学院江南校の、江南教会の日本語部の牧師として赴任。

2011年1月より、ソウル市竜山区東氷庫洞で、「SDA竜山日本人教会」として独立。
少ない人数ながら、開拓教会を始める。

2012年3月帰国。4月1日付けで、沖縄アドベンチストメディカルセンターで
チャプレン(病院付き牧師)として赴任。

2014年8月からアメリカ・ミシガン州にあるアンドリュース大学で学ぶ。

2016年8月より、トロント日系セブンスデー・アドベンチスト教会牧師。


家族構成:沖縄出身の妻、長女、長男、二男、三男の六人家族.

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

1週間ほど前に、子供の幼稚園の登山遠足に行った時に、
裏山で見つけた韓国軍の軍事訓練場があった。
登山道に隣接しているのである。

有刺鉄線の向こうには、韓国軍の塹壕を使った訓練場である。
いたるところにあったのだが、それは全部ソウル中心部に向かってあり、
明らかに方向は関係なく訓練用で、今も使われているものであった。
しかし、特に目に止まったのは、山の尾根づたいから北朝鮮側に向かって
下っている斜面に、コンクリートの小さな建物がたくさんあったことだ。
朝鮮戦争から今まで使われてきたもので、つい最近まで(はっきりはしないが)、
兵士がここにいたとかいないとか・・・

一緒に山を登った娘のクラスメイトの父親は、軍隊時代に塹壕ばかり
掘らされたと言っていた。毎日、毎日、穴ばかりだったとか・・・。

以前、ソウル中心を流れる韓江を渡る時、車の中で案内して下さる方から
教えてもらったことだが、韓江の至る所に小さなダムのようなものが横切っていて、
そこでは数十メートルおきに、川の中に人が入れるほどのコンクリートの建物がある
のである。それは、北朝鮮からの潜水艇や水中をスパイが潜入できなくするための
ものだといのだ。そして10年ほど前までは、実際に兵士が交代で常駐していたというのだ。
大学キャンパスの裏山にある塹壕から始まって、色々考えさせられた。

今、韓国の歴史、民族、文化を学ぶために、日本で色々な書籍を購入してきたものを
読んでいるが、正直涙なくしては読めないのだ。
何故ここまで韓国の人々は苦しまなければならなかったのかと。
歴史に無知であったことを思い知らされた。あまりに知らなさ過ぎる。
その歴史と正面から向かって行かなければ、どんなことも本当には前に進まないだろう。
インターネットで流れてくる日本と韓国のすれ違いのニュースを見るときに、
そのことを考えるのである。

イメージ 1

イメージ 2

韓国に来て、そろそろ2ヶ月、遅々として進まない
夫婦の韓国語上達度に比べて、子供達は吸収が速い。速すぎるぅ・・・

子供達は、オンマー、アッパーと呼ぶのが普通になり、
会話のあちらこちらに韓国語が出てくる。
下の息子は、韓国人のベビーシッターの言うことを聞いて、
その通りにするのである!!親父は理解できていないのに・・・

3歳の娘の方はというと、日本語のスピードが遅くなり、
語尾が怪しくなってきた。というより、歌っている歌が
すでに日本語ではなくなったのである。

下の子はまだ話せないが、上の子の日本語のレベル低下は
これからも続くので、妻は「ママ学校」を毎日幼稚園の後で、
することになった。
内容は、日本で購入した「家庭保育]の教材を中心に、
絵カード、フラッシュカード、歌、ピアニカ演奏、
絵本の読み聞かせ、聖書の物語の読み聞かせ、
あとは、NHKの「しまじろう」のDVDなどである。

この「ママ学校」子供達には好評で、上の子は幼稚園から
帰るといつも「ねぇ、ママ学校はまだ~?」とせがむのである。
妻は、午前中の韓国語クラスと家事があるので当然忙しい。
無論、私も家事の手伝いを半分受け持っているが、妻には感謝なのだ。
妻は小学校の免許を持っており、幼稚園で働いたこともあるが、
こういうところで生かされて良かった~とつくづく思う。

次回は、父親の威厳(あるのか?)を取り戻すべく、「パパ学校」
なるものを開校しようと目論んでいる(二番煎じっぽいが・・・)。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

先日の土曜日、ひょんなことから、
教会の祈祷院のオープニングセレモニーに
出れることになった。

大学のキャンパスから車に揺られて2時間、
山奥のそのまた上に、祈祷院があった~!!
だが、祈祷院の建物自体を撮影するのを忘れた~!!!!

という訳で、祈祷院の「祈りの部屋」で無邪気に遊ぶ
子供達の写真のみの掲載となりまする。あしからず・・・

祈祷院とは、そもそも教会(単立よりも教団のような形)で、
もたれている祈りの場所である。私のところはプロテスタントなので、
カトリックの修道院とはまた違う。修道院は修道士しか入れない。
祈祷院は、基本的に祈りたい者はだれでも行ける。

1枚目の写真の上にあるのは、チンチルバンらしい。(時間が無く見損ねた・・)
有名な韓国の極楽サウナである。ここは山奥で冬はとてつもなく
寒くなる。そこでこのチンチルバンに入って、普段の疲れを
とろうというものらしい。祈祷院の院長さんと食事する機会があったが、
特別製らしい。いたるところに設計のこだわりがあるのだ。
私も、向こう6年間で2、3回くらいは1週間ぶっ通しの祈りのために
この場所に来るはずだ(韓国の私の教団では、牧師は2年に1回ここに入る)。

あとの写真は祈りの個室である。
オンドルが利いたこの小部屋で、1日3回くらい、何時間かこもるのである。
実は数年前に、一度この施設の近くにある以前の施設を利用したことがある。
その時は、1週間誰とも話さず(朝・夕の合同礼拝で讃美歌は歌うが、食事の時も話さない!)、
祈りと聖書と思索にふけったことがある。
1週間、下界から遮断された場所で1人過ごすのは新鮮な経験であり、
心も体も癒されたのだった。

興味ある人、癒されたい人は参加されてみてはいかがだろうか・・・

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今日は、娘の通う幼稚園の登山遠足に家族で参加した。
本当は、一週間後の期末テストの勉強をしたかったが、
やっと韓国の幼稚園に慣れてきた娘の「遠足デビュー」を潰す訳には
いかず、朝早くからせっせと準備をして家を出たのであった。
キャンパス内の幼稚園なので、集合場所は当然のごとく家の近くで、
所要時間は歩いてなんと3分!目と鼻の先立ったのである。

集合場所の教会前広場にはすでに多くの子供と保護者が集まっていて
準備体操をしていた。プラス、なぜか韓国のワールドカップ応援歌が華やかに
流れていて、目の前にある大学の女子寮の学生らは、日曜日の朝っぱらから
さぞうるさかろうと心配してしまったのである。
そんな中、若い保母さんたちが前で歌いながらワールドカップ応援歌を踊っており、
「お父さんもお母さんも一緒に踊りましょう!」とかなんとか放送され、
我々もチャンチャカ、チャンチャンと振り付けつきで覚えさせられたのだった。
これなら6月のワールドカップで韓国チームを応援するには困らないだろう・・・

登山前に、みんな保護者が子供の頬に好きな絵をペイントして出発。
しばらくすると、登山口で画用紙に絵を描くチェックポイントらしきものがあり、
親子で自然の様子を描いて、提出したら娘はシールを名札に一枚貼ってもらった。
登りはじめてから、3回くらいチェックポイントがあっただろうか、
ジャンケンでお菓子をもらったり、風船をもらって頭に付けたり、最終ポイントでは
親子でポラロイド写真を撮ってもらったりなど、様々な趣向が凝らされ楽しく登れた。
韓国は教育熱心だとは知っていたが、なかなか楽しく感心したのであった。
あと、不思議に思ったのだが、出発の際に受付で、キュウリと水のペットボトルを
もらったのである。「水はわかるが、この大きなキュウリはなんだぁ?」と
夫婦で不思議がり、「なんかゲームで使うんじゃない?」などと話していた。
しかし、何のことはない、皆が登山しながらキュウリをかじっていたのであった・・・。

登山をしながら、日本に14年住んでいた人に出会って色々話したり、
妻の日本語学校教師時代の教え子夫婦に会ったりした。
彼らの子供は奇遇にも娘と同じクラスだった。
(※妻は7年前にソウルで日本語学校の教師を2年ほどしていた)

幼稚園は結構大きく、全校生徒が参加したようで、その保護者も含めると相当の数に
上った。正直、保護者で知っている人は皆無に近かったが、幼稚園で初めての日本人は
珍しいらしく、ほとんどの人は、我々が日本人であることを知っており、
日本語で挨拶をしてくれたり、助けてくれたりと、暖かな歓迎を受けたのであった。

登山を終えて家に帰ったら、初めの予想通り、力尽き、
とても勉強どころではなかったのである・・・

このページのトップヘ