「韓流の裏にある日韓の深い溝」

  韓国のラジオのディベートの内容をまとめました。短くしたのですが長いです…(^_^;)


昨晩、6時過ぎに家の前の駐車場に着いた。
車を停めて降りようとする間際、付けっ放しにしていた、韓国の「EBS-EFM」という
英語のラジオ放送のDJが次のコーナーの案内をする声が聞こえてきた。
その案内を聞いた瞬間、車を降りるのを止めた。

「次のコーナーは、従軍慰安婦問題について日本はこれ以上謝罪するべきか、
しなくてもよいか、についてディベートしてもらいます…」

私が英語のラジオ放送を聞くのは、韓国語より分かりやすいというのは勿論であるが、
韓国の情報について、外国人の識者が客観的に話す機会が多いので、
偏った意見を聞かなくて済むし、よく行われるディベートコーナーなどでは、
韓国人の本音を聞けるからだ。

ディベートでは、謝るべきだという側に、社会学を学んだ30代の韓国人男性と、
20代くらいのアイルランドで育った韓国系の男性。

これ以上謝罪は必要ないという側には、韓国に住んでいるアメリカ人ジャーナリストと、
カトリックの大学で教えておられるらしい年配のアメリカ人女性。

DJの「センシティブな問題なので感情的にならないように」という呼びかけで始まった。
最初は、お互いの意見のベースが述べられた。

謝罪がこれ上必要ないとする側のジャーナリストは、日本の産経新聞に載っているような
内容を自分の取材した中から説明した。1965年にこれはすでに政府間で決着されていること。
そして、この話題が1997年頃に、実は日本から出てきたことに触れつつ、韓国で被害者の
女性をインタビューする韓国テレビ局の現場に居合わせたことを話しだした。

インタビューでは、彼女たちが一通り体験談を語り、内容が彼女たちの希望や、
願いに変わったそうである。「私たちにとっては、日本政府も韓国政府も同じだ。
私たちは戦争が終わってからは、韓国政府に強制されてアメリカ軍の慰安婦になった。」
と話しだすと、カメラマンやインタビューの面々はカメラを切って「カムサムニダ」と
礼を言うと、すぐに消えて行ったそうだ。そんな場面をなんども見てきたという。
日本の謝罪だけに焦点を絞っている現状は奇妙だし、問題の根本的解決にはならない。
そう話した。

もう一人、カトリックのリサという年配の女性は、1965年に日本政府がまず韓国に個人への
補償を申し入れたのを当時の韓国政府が断ったことが2005年に明らかになった文書に
記されていることを述べ、その巨額な援助によって今の韓国の基礎が作られたことは
間違いなく、それを韓国政府は隠したがっていたことを指摘した。その上で、今まで、
歴代の首相が何度も謝罪してきたのに、これ以上、何を謝罪しろと言うのか?と問うた。

これに対して、日本の謝罪が必要とする側の30代男性は、こう語り始めた。何百万の
うら若い女性たちが、将来の夢と人生を踏みにじられ、彼女たちの犠牲の上に今があることを
考えるとき、私たちは彼女たちのことを決して忘れてはならない。日本大使館の前で
1000回目の抗議集会があったが、それに対して公式な謝罪と補償が今の生き残った
女性たちになされることは当然のことであり、日本がアジアにもたらした、多大なる
犠牲と苦しみを今一度、光のもとに出す必要がある。

アイルランドの韓国人はこう話しだした。アイルランドとイングランドの間にある
葛藤以上に、韓国と日本の間には従軍慰安婦問題や独島(竹島)問題などの軋轢があるが、
まず、慰安婦問題について公式の謝罪を日本側から得ることによって、韓国と日本の関係を
今のような状態ではなく、健全な状態にする必要があると思う。その意味でも、謝罪は
決して避けては通れない問題だと思う。と述べた。

他にも、いくつかのコメントが交わされ、落ち着いて議論が交わされてたが、
謝罪必要なしというアメリカ人側の情報量の多さと冷静さに対し、謝罪が必要だという
韓国人側の、感情的・情緒的側面が浮き彫りになった気がした。

中間に、リスナーや街中のインタビューの声があったが、ほとんどが日本の謝罪が必要
という意見だった。

続いて、アイルランドの若者が日本と韓国を、スター・ウォーズの
ダースベーダーとスカイウォーカーに例えて話し出した。それにジャーナリストの男性も
のってきて、韓国人の内面を客観的に論じていた。映画の内容を知らない人のために
説明すると、スカイウォーカーは正義の見方であり、ダースベーダーは悪の側の人である。
しかし、最後にスカイウォーカーがダースベーダーを倒した後に見た、仮面の下にあった
顔は、自分の父親だった。という話である。この例話を用いて、2人は1965年に日本が
韓国に対して多額の援助をしたのを2005年まで韓国は知らずに来て、日本を責めていたが、
気づいてみると、実は日本は各個人への補償を申し入れていたし、今の韓国の繁栄があるのは、
実は、憎かった日本のおかげであると知った。ここで話は韓国人にとって、
「ナスティー(不快)」になってきて、複雑になってきてしまうと語った。

ここで我慢が出来なくなったのか、30代の男性がアイルランドの韓国人に
「君はどちらの立場か?」と問いただした。

私はここまでの話を聞いていて、韓国の放送でこれほど日本側の意見が話されたことがないので
驚いた。テレビではなくラジオであるし、英語でもあるので、ある程度の融通は効くのであろうが、
ちょっと危なそうな意見だと思った。

ここに来て、謝罪必要側の30代男性の声が高くなってきた。
興奮してきたのか語調が強くなってきたので、DJが落ち着くように場を和ませる。

しかし彼は続ける。日本は謝罪をしてきたというが、それはドイツのようにではなかった。
日本は本当に悪いことをしたと思っていないし、アジアにどれほど迷惑をかけてきたかに
無頓着ではないか。これは過去だけではなく、現在も続いている。

そう言って彼は何かの本のタイトルを言って、現代の韓国女性がこの問題について考え、
悩んでいる姿を示しながら、これは現代の問題でもあると指摘した。そしてこう続けた。

慰安婦の方々の辛い犠牲とその気持ちについて考えるときに、私たちは、
このことを放置してはいけない。一刻も早く日本からの正式な公の謝罪が必要だと語った。

それに関して、ジャーナリストの彼が意見を出した。先ほども言ったが、慰安婦の思いは、
日本にも韓国に対しても同じである。問題は、慰安婦としての道しか用意させてもらえなかった
という事実を韓国が隠してきたことにあるのではないか。と意見を言ったところ、
30代の男性が明らかに興奮して、「いまは日本のことを話している。韓国のことではない。
話がそれている!」とまくし立てた。しかしジャーナリストは比較的冷静に、
「いやずれてはいない。日本に謝罪が必要か否かであるなら、NOだ。
問題はこれを戦後同様に行い、黙認してきた韓国政府にもあるからだ。」
と言ったときに、30代の男性は完全に切れた。

「そもそも最初に日本が韓国に来なければ、こんなことにはならなかったんだ!」

…スタジオにしばしの重い沈黙が流れる。

DJが最後に、カトリックのリサに締めてくれるように頼むとリサは言った。
「今まで話してきたように、日本は客観的に見て、経済的に十分な補償を韓国にしてきた。
また歴代のリーダーも謝罪や同様のコメントをして和解を試みてきた。2国間が平和的な
未来を築く上で、韓国がさらに日本に謝罪を求めることは理解できない。また、韓国では
日本の謝罪という件が、あきらかに政治に利用されていることが、今回の大統領の訪日で
明らかになった。謝罪が必要と繰り返すが、いったいこれ以上、何が必要だというのか?」

すかさず、30代の男性が叫ぶように言った。
「ドイツのような膝まづく謝罪だ!しかし日本は決してそのようなことはしないだろう!」

とどめの一言に、またもやスタジオが沈黙したあと、DJが最後に
「この問題は非常にデリケートな問題で、いまここで解決をみることはできないし、
まだ議論が必要であろうことは皆さんもおわかりでしょう。機会をみて、
またこのような場を設けたいと思います。皆さんありがとうございました。
では次のコーナーに移りたいと思います……」


このようにして日韓の慰安婦問題について、米韓の代理ディベートが終わった。
感じたことは、いくつかあるが、一つは「根深い」という思いである。

韓国に住んでいる人はみな知っているように、韓国の歴史教育では日本に割くページが
異常に多い。これはディベート内でジャーナリストも言っていたが、ナンセンスなほどだと。

よく殺人犯が死刑になった時に、犠牲者の親族は、複雑なコメントをする。
希望どおりに憎い犯人が死刑になっても、ちっとも満足ではなく、かえって空しいのである。
犯人が死ぬと、怒りの持っていく場所がなくなってしまう。憎しみは人を幸せにしない。
また謝罪によって消えるものではない。

おそらく、韓国は日本がどんなに謝罪しようと補償しようと、ずっとこの問題を
引っ張っていくだろう。それはディベートの中でリサが少しだけ触れていた。


私には、一緒に韓国語と日本語を勉強している、芸術大学の大学生の友人がいる。
その学生と深くこの問題について話したことがあるが、その学生は正直にその韓国人の
根本にあるものを指摘してくれた。「先生、それはコンプレックスです。」

「韓国は日本に対してずっとコンプレックスを持っています。
ですからどんなことに対しても日本に負けたくないし、この慰安婦問題にしても、
道徳的に自分たちの方が正しいことを証明したいのだと思います。」

私が「君はそう感じないのか?」と聞いたら、「今の若い人たちの中で自分で調べられる人は
分かると思います。韓国の人は根はいいんですが、純粋で単純な人が多いので、
政府やマスコミ、周りの人からいいように操作されていると思います。」と答え、
韓国には言論の自由がないことや、その他の様々な問題を話してくれ、
できるだけ冷静に韓国の社会を見ようとしているとも言ってくれた。

正直、鋭い突っ込みに驚いた。さすが絵描きというか、芸術の道を歩いている人は違う。
それとも、芸術家は、表面ではなく内面を見抜く力があるのだろうか?

いずれにせよ、日本は韓流ブームに沸いているが、その裏にある日韓の深い溝に
気がつかないと、後で痛い目に会うのではないかと感じた。

そして韓国の「謝罪しろ!」という言葉は、「赦せない!」という言葉であると気づいた。
日本にはこの言葉の意味が届いているだろうか。韓流となって心に流れているだろうか。

だが、韓国の人が言う「日本の謝罪があれば赦す」という言葉にもひっかかる。

「本当の赦しとは、赦せないことを赦すことにあるのだが…」と一言つぶやいた。