隠された宝「ヤベツの祈り」

『ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、「わたしは苦しんで産んだから」と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。またヤベツがイスラエルの神に、「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」と祈ると、神はこの求めを聞き入れられた。』Ⅰ歴代誌4:9,10

ヤベツの祈りは、聖書の中の「秘められている財宝」(イザヤ書45:3)と言われています。しかも、聖書の中で最も退屈でつまらない場所にひそかに隠されています。なんと9章にわたって、初めから終わりまでカタカナの名前が書いてあるだけなのです。「ヤベツの祈り」はその真ん中にポツンとあります。数ページのカタカナの名前の羅列のあとにヤベツの祈りがこつ然と現れ、それからまたカタカナの名前に戻って行くのです。

1-9章の間に出てくる言葉は、「産んだ」「死んだ」「部族」「父は」「母は」「兄弟は」くらいのものです。ほとんどの人が飛ばし読みをするでしょう。

しかも、イスラエル人のユダ族の系図の中にヤベツの名前が出てきますが、彼はユダ族に属していませんでした。神様があえてこの祈りを無数の名前の中に隠されたと思わざるをえません。

でも、発見した人にとっては宝物です。今日、あなたがこの祈りを人生の宝としてくださるように祈っています。ヤベツについては、聖書の中にここにしかありません。これを宝探しの地図として宝物を見つけたいと思います。


1.「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた」

 彼は兄弟たちからも人々からも尊敬されていました。成功もいていた人でしょう。しかし、人は成功しただけでは、尊敬されません。ヤベツは他人の気持ちを理解し、思いやることができる豊かな心を持っていたのでしょう。

「尊敬されていた」とは、部族のリーダーになったという意味です。現在のリーダーは、仕事がよくできて管理能力が抜き出ていて、企業にプラスになればリーダーになれますが、当時のリーダーは何よりもまず人格が求められていました。

この祈りからするとスケールの大きい人でおおらかなところがあったと思われます。
 
 ①人々から好かれ、明るい人でくったくがなく、人々が引き寄せられてきたでしょう。
 
 ②可能性思考だったでしょう。これは「神様にはできないことがない」という信仰からです。信仰によってものごとを積極的に見ていったのでしょう。
 
 ③信仰により自分の中に可能性を見たヤベツは、人々の中にも、可能性を見ました。どういう状況においても、どんな人にも可能性が見えたのです。彼の祈りを祈ると分かりますが、彼の人間味のある明るさが伝わってきます。落胆していても元気が出てきます。失望していても 希望が見えて来ます。
 
 ④好かれただけでなく、人好きだった。自分の中にも人々の中にも尊いものを見ました。ゆえに他の人も祝福されて欲しいと思ったのです。

2.母親は、「わたしは苦しんで産んだから」と言った

ヤベツの母は、妊娠中に夫から捨てられたのかもしれません。あるいは夫が死んでいたのか、その他の悲劇的な事件があったのでしょう。また難産だったのかもしれません。当時、難産は日常茶飯事でした。死産の率は今日の10倍以上でした。もしかしたら難産によって、ヤベツは身体的なハンディキャップを持っていたのかもしれません。

3.ヤベツ(痛み、悲しみ、苦しみという意味)という名前をつけた

生まれてきたヤベツは歓迎されなかったようです。彼の誕生はお祝いするようなものではなったのです。母親は、「痛み・悲しみ」という名前をつけたほど追い込まれた状況でした。父が名前をつける文化なのに、父親の存在の気配がないのも不思議です。
ヤベツは生まれた時から肉体的、経済的、社会的なハンデを追っていた可能性が十分にあります。ヤベツと名付けられたのは、母がヤベツの人生が悲しみと苦しみでいっぱいになると思ったからです。

よい両親から愛の中で大切に育てられるとセルフイメージは健全になる、と長い間考えられてきました。しかし最近、アメリカの心理学では色々なデータから、むしろ幼児期や児童期困難を経験し、それを乗り越えた人が健全なセルフイメージを持つということが言われています。たとえば身体的なハンディキャップを乗り越えた子、両親の離婚からくる精神的な痛みを乗り越えた子がしっかりとしたセルフイメージを持つようになるそうです。ヤベツは間違いなく出生のマイナスを乗り越えた人でしょう。

4.イスラエル人ではなかった

彼はイスラエル人のエリート部族のユダ族に属さなかっただけでなく、イスラエル人でもありませんでした。全くの外国人だったのです。だからこそ、今日、みなさんにもこの祈りを祈って欲しいと願っています。あなたがクリスチャンであろうがなかろうか、全く関係ないからです。ただあなた自身のためにヤベツの祈りを試してください。

歴代誌のはじめの9章を読むと、偉大な人たちが沢山出てきます。エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、ソロモンの名前が登場してきます。驚いたことに、彼らに対しては何一つコメントがありません。この500人以上の名前の中で誉められているのはヤベツ以外に誰もいないのです。異邦人、外国人であるヤベツだけが、選民イスラエル12部族の系図の中でただ1人誉められている。これは聖書の中でも例外中の例外です。

しかし、異邦人として大きな業績を挙げたのならまだしも、祈りの民族イスラエルの中で祈りの人として認められたのです。そして彼の祈りは、「ヤベツの祈り」として国中に広まっていったのです。ヤベツはこの祈りを絶えず口にしていたに違いありません。イスラエル人は、彼の知恵や業績やリーダーシップの背後にこの祈りがあることを認めたのです。ヤベツという人物を作り上げたのはこの祈りだと。

5.かなえられた祈り

「ヤベツは自己中心的すぎませんか?」そう思う人もいるでしょう。確かに彼は自分のことばかり祈っています。短い祈りの中で4回も「私を」という言葉を使っています。

「神はこの求めを聞き入れられた」
自己中心的かどうかは別として、神様はヤベツの祈りを聞かれたのです。この句は私たちにも大きな励ましを与えていないでしょうか?あたかも「あなたも同じ言葉で祈ってごらん」と神様が言われているようです。祈りに関して、これ以上の決定的なことばは他にありません。ヤベツの祈りは聞かれました。そしてヤベツの祈りを祈る私たちの願いも答えられるでしょう。

『何事でも神のみこころにかなう願いをするならば、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です』(第一ヨハネの手紙5:14)

祈りは神様に向かうものです。要するに、神様が私たちの祈りをどのように思われるかがすべてなのです。自分の内に違和感があろうと、人々がどう評価しようと、最終的にはどうでもよいのです。自分の気分のためや、ほめられるために祈るのではありません。

6.「どうかわたしを祝福してください」

こんな話があります。ジョーンズさんという人がいました。彼は死んで天国へ行きました。ペテロは彼に天国を紹介してくれました。ペテロは黄金の大通りや、美しい邸宅や水晶よりも透き通る川を案内しました。

途中で、天国には似つかわしくない大きな四角い倉庫のような建物が目に入りました。
その建物には窓がなく一つの入口しかありませんでした。中を見せてもらいたいと頼むと、ペテロはためらって「その中を見てもしょうがないよ」とそっけなく答えました。

ペテロはすばらしい秘密を隠しているに違いない、と思ったジョーンズさんはしつこくお願いしました。しぶしぶペテロが入口を開けると、ビルの中に隙間がないほど、はじからはじまで何段もの棚があり、その棚には赤いリボンで結ばれた白い箱が数え切れないほど置かれていました。

「いったいこのプレゼントはだれの物ですか」と尋ねると、ペテロは「これは君が生前受け取るべき神様のプレゼントだったんだよ。でも君が求めなかったので、ここにとどまったままなんだよ」と答えたということです。

このジョーズさんとは、あなたのことです。神様は、あなたに多くの祝福を与えようとされています。あなたがまだ願ってもいないプレゼントを沢山用意されているのです。大学でのよい成績や、素晴らしい出会いかもしれません。働き甲斐のある仕事かもしれません。でも、祈る時は、自分の願いに固執しないでください。神様が与えようとされるものをもらってください。多くの人が祈ってもきかれないのはここが問題なのです。

7.「わたしの領土(境界線)を広げてください」

みなさんが心を込めてこの祈りを祈る時に、まず心の周りに作った限界が瞬間的に破壊されます。私たちは、自分の可能性に限界という境界線を引く傾向があります。

私たちは、自分が安心するために自分の境界線、居場所を求めます。それがないと不安になるからです。しかし、この境界線は安心感を与えはしますが、未来の働きを止めてしまうという働きもあるのです。境界線の自分の領土の中にいると、そこ安住し、もう動きたくなくなってしまいます。特にこの境界線が小さく設定されていると、あなたの心が萎縮し、小さな限界に縛り付けてしまうのです。多くの場合、私たちは自分の境界線を引き、自分の小さな領土の中に閉じこもって安住しているのです。

領土、境界線とは、個人の可能性を表します。ストレッチングという言葉は、日本ではストレッチ運動のことですが、アメリカでは、主に才能を引き伸ばすことです。今までしなかった勉強や技術、スポーツ、仕事にチャレンジすることであり、新しい分野に取り組むことです。あなたがこの祈りを祈る時、心の奥底に秘められた可能性を引き伸ばすのです。

8.「御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」

「御手」とは、神様が共にいてくださることです。また、あなたの敵を滅ぼす手であるということです。そして、いつでも神様である聖霊様が共にいてくださるということです。また「災い、苦しみからの守り」とは、様々な事件、災害だけでなく、最も大きな敵である、サタンと自分自身の罪からの守りを求めているものです。


最後に、この祈りを祈る時には、「神様を呼ぶこと」を心に覚えてください。
ポイントは、「大声で、熱心に、信じて、行動する」ということです。

以下の3つのことは、神様のご性質を現しています。

 1、神様はあなたに祝福の計画をもっておられる
 2、それはあなたの生涯に実現する
 3、もし心を尽くして主を呼び求めるなら答えられる

求めて下さい。求めないと与えられません。神様はすでにあなたが必要としているものを用意しておられます。

今日からあなたもこの祈りを祈ってください。かかさず1週間、毎日何回か祈って行くうちにあなたの人生は大きく変って行くでしょう。

『どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって
災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください』


参考:「ヤベツの祈り」B・ウィルキンソンhttp://www.wlpm.or.jp/pub/0441/index.htm
           平野耕一 http://www.agape-tls.com/ipoema/books/prizm/prizm.html