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今週木曜日夜、約10日ぶりの韓国に帰ってきた。
日本を離れるのが辛いかなぁと思ったが、別にそうでもなく
家族、特に子供と離れることだけが心残りだった。


沖縄に来ていつも思うのは、米軍基地の多さである。
どこに行っても基地に面している。
沖縄の人に言わせれば、一番いいところは全部米軍のものだとか。
調べたら、沖縄県全体の10.4%が基地というから驚く。
まぎれもなく、米軍基地の島なのだ。
http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=14&id=1169&page=1

沖縄にいる間、妻の実家と道路一本挟んだところにある沖縄市役所に
ちょくちょく足を運んだ。出生届や、ATMがあるからだが、
ある日、「原爆展」と「沖縄戦(だったと思う)」が、市役所ロビ-
で開かれていたので見てきた。

被爆地の様子をはじめ、太平洋戦争末期の沖縄の様子を見ながら
心が重くなり、胸が締め付けられるように痛んだ。原子爆弾の悲惨さと人々の悲しみ。
また沖縄では、米軍基地がある限り沖縄の「戦後」が終わらないだろうと思った。


沖縄市から嘉手納基地までは、「ゲート通り(空港通り)」が
メンストリートになっている。そこは外国人店主が経営する店が並んでおり、
他とは、少し町並みが違う。(小さな写真がそれ)

そこに新しく、複合音楽施設「コザミュージックタウン音市場」なるものが
登場していた(大きな写真)。昔、沖縄市が「コザ」と呼ばれていた名残だが、
一昔前は音楽で有名だったそうだ。それらは、ロックや琉球民謡などだ。

そういえば、もう一つの通りのパークアベニューというすっかりさびれた所には、
信じられないが、昔は、「ハードロックカフェ」まであったとか。
今はそう言われても信じられないほど閑散としている。
当時、米軍兵の暴行事件が多発してこの辺に来る兵士が激減したのが原因だとか。
1970年にはコザ暴動があり、暴行事件に対する住民の不満と怒りが
爆発し、米国人の車が約70台焼き討ちにあった。

そのような歴史がある沖縄市ダウンタウンで、地域活性化対策として
この「ミュージックタウン」を建てて、もう一度人々をここに呼ぼうとしているのだ。

この施設のメインは、スタンディングで1100人を収容できるホールだそうで、
ロック、ポップスなどライブイベントを充実させるためホールの形、壁の材質、
音響機材など、音の響きの良さにこだわった造りらしい。
今回は残念ながらそこでのコンサートに参加できなかったが、
次の機会を楽しみとしたい。あと、ラジオでやっていたが、
ここは、営利目的でないなら、予約して、無料で演奏をやらせてくれるようなことを
言っていた。もし本当なら、音楽好きな若者たちは直行すべきだろう。

話は変わるが、その一階に「ウェンディーズ」と「すき家」が一緒になった店がある。
子供が好きなので、一度だけ家族でそこへ行った。日曜日の午後2時頃だったが、
店の9割はアメリカ人兵士や、軍関係者の家族連れだった。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなった。
娘がハンバーガーを口いっぱいに頬ばりながら、隣のテーブルの黒人兵士4人組を
不思議そうにながめていた。妻が「私が小・中学生の時にはもっといたよ~」と、
言った。

そういえば、沖縄市は、映画「涙そうそう」にもちょくちょく出てきたように思う。
主人公がバイクに2人乗りして気持ちよさそうに走っていた並木道は、
家のすぐそばの「くすのき通り」だったし、長澤まさみの父親がトラムペットを
吹いていた店は、パークアベニューにある(多分・・)。

音楽関連だが、妻の兄が三線(サンシン)という、琉球三味線を引く。三線教室も
趣味でやっているが、仕事が終わると、よく飲み屋のライブで弾いている。
以前、沖縄のビールのコマーシャルにも出て、たまにFMラジオでも
DJしてるとか、してたとか・・・。いずれにせよ、次に来たときには、兄さんが弾く
三線を聴きつつ、一杯(勿論サイダー)やりながら、沖縄を感じたいと思った。

沖縄は、南国の明るい素敵な場所だが、過去の悲しい歴史や、
簡単に解決しない難しい問題も見え隠れする。

しかし、観光客には、沖縄の素朴で明るい人たちがそれを感じさせないのだろう。
そんな本土からの人々には見えない沖縄の姿がそこにはあった。