おがちょのつぶやき日記

トロント日系セブンスデーアドベンチスト教会牧師のブログです。

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牧師会の殺人的スケジュールが続いて3日目の午後、自由時間があった。
朝6時半からの集会、1日中続く英語での神学の専門的な講義、多くの会議など、
夜遅くまで続いた中で、やっときた休息のひと時だ。

同じ年の韓国人牧師2人がソラク山へ連れて行ってくれることになった。
車は、日本人教会と同じ地区にある教会の牧師さんが貸してくれた。

ソラク山へは、時間も装備もないので、今回はロープウェイで上った。
さすがに韓国の人々が愛する山だ。

美しいと思った。日本の震災を受けた方々のニュースを見ながら
落ち込んでいた心が、少し慰められたような感じがした。

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『この苦しみはなぜ?』


石原都知事が「天罰」発言をして世論から非難を浴びた。
彼の考えは典型的な「因果応報」の考え方だ。
非難を浴びて1日で謝罪している。

アメリカの女子バスケットボール選手も、「震災は真珠湾の報いだ」
などと言って非難を浴び、謝罪したそうだ。

この二人の考えは、苦しみと悲しみ、絶望の中にある人の心の傷に、
さらに塩を塗りこむようなものである。どのような事情があっても
口にしてはならない言葉だろう。

しかし、今の政治家はどうなっているのだろうか。目を覆うばかりだ。
ある人が興味深いこと、というより「きつい」言葉を書いているのを読んだ。

それは、「日本の政治家のレベルが低いのは、今の国民のレベルが
そのレベルだからだ。政治家はその国民のレベルの人々しか出てこない・・・」

強烈な言葉である。しかし、この言葉にどれだけの人が反論できるだろうか?

石原知事の言葉は言うまでもなく論外である。多くの人々が憤慨するのは当然だ。
しかし、その人を自分たちのトップとして3期も選んでいた都民の良識も問われるべきである。
今の日本の政治もそうである。

しかし、批判は常に簡単だ。人の揚げ足をとればいいだけだからだ。
みな、自分は関係ないように振舞う。その繰り返しをしているにすぎない。
そこに希望はない。だからここでは非難をしない。


では、なぜこのような苦しみがあるのだろうか?誰かのせいなのだろうか?
「人々は神などいない、神がおられるならばこんなこと起こるはずがない」と叫ぶ。
彼らの心情を思い見れば当然のことである。

人は生まれ、死んでいく。一生の間、楽しみ、喜んだとしても、同じくらい、
いや、それ以上に悲しみと苦しみと涙が伴う。

歴史上、この問題を解き明かそうと、多くの哲学者や思想家たちが挑戦した。
だが、納得できる答えはでてこなかった。

そうして人々は、宗教にその答えを求めるようになった。
それでは、宗教はその答えを与えたのだろうか。これも十分ではないだろう。
多くの宗教がやはり「因果応報」の考え方を形を変えて持ってきただけだからである。

私は、旧約聖書のヨブ記に目を留めるべき時だと思う。
聖書の神は、苦しみの意味について、大切なことを教えている。

ヨブは正しい人であった。神様がサタンに向かってこう言われたほどであった。


「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、
悪に遠ざかる者の世にいないことを気づいたか。」(ヨブ1:8)


しかし、サタンは反論する。「ヨブが神を信じ従っているのは、
神が守っておられるからではないか・・・。その守りを取られれば、
ヨブはあなたをのろう」と。

そして、サタンはヨブの財産の全てを散らし、ヨブの子供たちの命を全て奪い、
彼自身の体にも耐え難い、極限とも言える病を与えた。

このヨブ記は、日本で苦しんでおられる方に慰めと励ましを与える
貴重なメッセージではないかと思う。ここだけでは書けないので、
時間をかけて何回かに分けて書こうと思う。


ここでのポイントは、サタンの存在である。悪魔とも呼ばれるサタンが
このヨブの災いの元凶であるということだ。実はここまでは、
他の宗教でも理解しているところがある。

問題は、そのサタンの働きを「人間の罪の結果」として、
簡単に考えてしまうところにある。そのはやまった、
誤った思想は、残念ながらクリスチャンの中でも見られる。
そのような考えの帰結するところは、結局、「原因は人間の罪だ」とする。
ここにも「因果応報」の考えが出てくる。

このように考える人の「神」は、弱い存在になってしまう。
サタンの業に対して何も手出しができない「無力な小さな神」として描かれてしまう。

ヨブ記には、神が全てをコントロールされていることがはっきりと示されている。

「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない。」
ヨブ記1:12

ノアの箱舟の大洪水はサタンがしたのではない。神が裁きとしてなされたのである。
またモーセの時代、だれが太陽の動きを止めたのだろうか。サタンにそんなことはできない。
神の神権を冒すことなど、できはしないのである。

また聖書は「災いは良き者の上にも悪しき者の上にもふりかかる」と記している。

この言葉は真実である。聖書の中で、心から神に従っている人が苦しめられ、
殺されている例は挙げるまでもない。旧約聖書の預言者たち、バプテスマのヨハネ、
12弟子たちの最後、初代教会の人々への激しい迫害。

それらを見ながら、「信じれば全てのことから救われる」とか、
「この世の災いから逃れられる」などと言う発言は、
世の中の薄っぺらな「ご利益宗教」と同じである。
聖書のどこにそんなことが書いてあるのだろうか。

主イエスは言われた。

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」ヨハネ16:33

信じる者もなやみがあり、苦しみがある。
この現実の中に、主は、生きる力を与えると言われているのだ。

「そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう」マタイ24:9

ヨブは、サタンに苦しめられるのを神によって許された人物として、
我々の前に明確に持ち出されている。

ヨブは、今回の日本の大震災に遭われた人々のように、
財産も伴侶も子供たちも全てを奪われ、想像を絶する苦しみの中にいた。

ヨブの友人たちは慰めにやってきたが、これらの苦悩を、
彼の罪深い生活の報いだと見なさせようとした。友人たちはヨブを神の前に罪ある者と決めつけ、
刑罰に値すると見なして、彼につらい思いをさせただけでなく、「神」ご自身を間違って描写した。

現在もヨブの友人たちが多くいる。友人の顔をして本人を苦しめるのである。
そのような考え方が、多くの宗教、そして教会の中からも出てくるのは本当に残念である。
それは石原知事と、プロバスケットの選手の「天罰発言」となんら違いがない。

では、神はなぜ人々の苦しむのを見ておられるだけと感じるのだろうか?
これは聖書全体を貫く中心思想に関係してくる。また私たちの通常理解では、
想像の範囲外にある。そのことは、次回に書き綴りたいと思う。


しかし、最後にヨブ記の終わりに記されている、ヨブ自身の信仰告白を見ていきたい。

「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、
あなたがたにできないことはないことを。『無知をもって神の計りごとをおおうこの者はだれか』。
それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、みずから知らない、計り難い事を述べました。
『聞け、わたしは語ろう、わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。
わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします。
それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」。ヨブ42:2-6

ヨブは、「なぜこの苦しみが?」という答えを神様から与えられなかった。
しかしただ、宇宙のすべてを統べ治めておられる全能の主の知恵と知識、力の前には、
いかに自分の考えが浅はかで小さなものであるかを思い知らされ、主に信頼し、
従うことだけが唯一の道であると悟るのである。

ヨブの疑問は答えられなかった。しかしその疑問はもうすでに疑問ではなくなり、
彼の中から消え去ったのであった。


次回に続く

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牧師会が今回使っているホテルが、雪岳山(ソラクさん설악산)の前にある。
ソラク山は、富士山のように一つの山かと思ったら、
江原道にある山並の総称だそうだ。5年近くも韓国に住んでいるのに、
来たのは初めてだ。

このソラク山は、朝鮮半島東部を貫く太白山脈で最も高い部分である。
日本海側の束草市西部に位置し、雪岳山国立公園に指定されている。

雪岳山には花崗岩でできた切り立った峰が連なっているが、
標高1,708mの大青峰(デチョンボン)が最高峰だ。
これは、済州島の漢拏山(ハンラサン標高1,950m)と
小白山脈の南端の智異山(チリサン1,915m)に次ぐ高さだ。

韓国第三の高峰であるが、韓国の人は、特にこの山に思い入れがあるようだ。
「この山は韓国で一番美しい山です」と何人かの韓国人牧師が説明してくれた。

ソラク山は、花崗岩の峰々なのだが、これがいつでも雪が積もったように
白く見えるところから雪岳山の名が付いたと言われるそうだ。

明日の昼食後、「Synaergy」という時間がある。
自然の中を共に歩く時間のようだ。

今日は曇っていたので、明日はきれいな写真がとれればと思う。

あと、私が泊まっている部屋のリビングとベットルームを写してみた。
このベットルーム以外に他に2つの部屋と台所、トイレ、風呂があり、
5人の牧師で泊まっている。

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